飛翔

日々の随想です

古本あれこれ 

 運動不足解消と楽しみとをかねてちょっと遠くの本屋まで歩いていくことにした。行きは下り坂なので30分で目的地に到着。しかし30分も歩くと汗がでてくる。
 4700歩ほど歩いた。大型書店では最近古本の買い付けと販売もはじめたので、様子をみる目的もあった。
 古本といっても新古本程度でめぼしいものはない。ボーイズラブ系やコミック本、文庫本、単行本と数はかなりあるが、めぼしいものはない。
 ちょっとがっかり、半分は予想通り。しかたがないので新刊本を読み漁る。最近では本屋にベンチがあるので立ち読みならず、どっかりと座って読める幸せがある。おまけにはたきをかけるいじわるばあさんも、じいさんもいないとなると、小一時間は読んでしまう。大体のものがざっと読めてしまう。ありがたい。・・・が。やっぱり買ってしまった。
 『神田神保町古書街2010』(毎日ムック)が、その本である。
 古書店177軒の最新情報と小見出しが有る。
 おまけに岡崎武志氏の「中央線の古本エリア、「おに吉」を歩く」というエッセイもあったので買ったのだった。
 岡崎武志氏は今や古本業界や書評のライターとして大活躍である。
彼の本を一番初めに読んだのは何だったろうかと考えている間にみるみるうちに岡崎さんは有名になってしまった。
 さて『神田神保町古書街2010』(毎日ムック)の本であるが、美しい写真が満載で珍しい古本の表紙をみているだけでもわくわくしてくる。浅生ハルミンさんのエッセイも載っていて楽しい。

 しかし、かつてここのブログでも紹介したことがあるが同じように「神田神保町古書店案内」のお宝本を紹介したことが有る。
参考までに載せておこう。

 本書は隔月配本で渋い本である。
3月号は「お宝だらけの古書店、昔ながらの喫茶店、文士の通った旨い店、“昔ながら”が残っている神保町」を俳優の大杉漣が案内役として紹介している。
付録は神田神保町古書店全145軒完全ポケットガイドがついている。読書子にとっては永久保存版となりそうな本である。
 古本屋の風情がたまらない。
「お宝拝見!古書店めぐり」は壮観の極み。
中には、2006年「文藝春秋」4月号で物議をかもした村上春樹氏の直筆生原稿120万円ほか、芥川龍之介谷崎潤一郎寺山修司司馬遼太郎などの草稿ファイルがある店も紹介。
堀口大學の訳稿をみつけたけれど、ページの間に埋もれて値段がみえない。
う〜ん、みてみたいものだ。
 また文士たち(高村光太郎池波正太郎江戸川乱歩山口瞳、団一雄など)が愛した美味しい店は、作家とのエピソードも紹介されていて面白い。
週末はこの界隈の古本屋めぐりをし、文士の愛した旨い店で食事をし、喫茶店でこだわりのおいしいコーヒーを飲むなんていうのはおつなもの。
 この本を片手に神田神保町古書店めぐりをする週末は読書子にとって極上の週末の過ごし方となろう。

 さて、本が売れないという巷の話は本当だろうか?古本業界はにぎわっていそうである。が、女性の古本業界進出もてつだってか、岡崎さんが仕掛け人だったのか、いや、古本屋であり作家の出久根達郎さんの影響も多大であり、御大将、谷沢永一氏の筆の力に負うところもあって古本業界は今やおおいなる賑わいを見せている。

 私が大好きな歌人であり女性古本屋さんの十谷あとり(じゅうやあとり)さんが大阪船場古書店開店した様子も写真入でこのブログにご紹介した。
このはな文庫@船場ビルディング開店祝いに駆けつけて
歌集『ありふれた空』十谷あとり
書評。
そして京都左京区の「善行堂」さんの店も紹介した。
古書「善行堂」

 本が好きな私は古本屋めぐりも大好きである。
 今日買った『神田神保町古書街2010』(毎日ムック)を読みながら神保町の古本屋を歩いているつもりにでもなろうか。


 *p1*[書評]北越雪譜

 『北越雪譜』鈴木 牧之,京山人 百樹,岡田 武松 岩波書店

本書は百七十年前に越後塩沢に生まれた鈴木牧之(ぼくし)が雪の観察や、雪国で暮らす人々の生活や習俗、哀歓、奇談を綴ったものである。

雪を観て花にたとえ、酒をのみ、音曲を楽しみ、詩歌や画で愛でるのは「和漢古今の通例なれども、これ雪の浅き国の楽しみ也」と雪国で千辛万苦する者の胸のうちを綴ることからはじまる本書。

なだれの恐ろしさは腕をもぎ、首をちぎりと悲惨を極める。
雪国での災害、とくに「雪吹」(ふぶき)の章は悲しい話で胸がつぶれる。

子どもを出産したばかりの若い夫婦が妻の実家へ子どもを見せに行く途中吹雪にあう。吹雪がやんで乳児の泣き声に雪を掘ってみると夫婦手を引き合って死んでおり、妻の懐には赤ちゃんがかばわれて助かっていたという話。

花のように舞う寸雪の吹雪は、暖地の「観るため」の雪であり、丈雪の吹雪の恐ろしさは上記の如しと嘆く。

「善人の家に天災を下ししは如何んぞや」と詠嘆する著者。
まさに昨今の豪雪被害にあった人たちの嘆きと同じである。
今でこそニュースメディアが発達しているのでその惨状や雪の恐ろしさは全国津々浦々に伝わるけれど、二百年前は、北越、雪深い地方の生活や習俗など誰も知るよしもないことだったろう。

著者は名字帯刀を許され、俳諧をたしなみ、画を描く教養人であったが、越後塩沢の一商人にすぎなかった。
その一介の者が自分の住む地域や習俗、暮らしぶりを世に知らしめ、理解を深めようと三十年余りに渡って苦心して刊行したことは類をみない労作である。

そのほか、雪の中から燃えでる火の話は越後地方に埋蔵されている天然ガス自然噴出の貴重な記録でもあり、一方、熊が人を助けてしばらく暮らした話などはユーモラスな趣がある。

北越地方の習俗や自然との係わり合いを語りつつも、世の人々に雪のために力を尽くし、財を費やし、千辛万苦する辺境の地の実態を伝えたいという一市井人の気概に満ちた作品だった。

折りしも、この地は地震により被害を受けた地でもあり、豪雪被害の千辛万苦の記述は今も少しも変わらないことに深く考えさせられる。

最後に本書の中で印象的な言葉があった。
それは「雪をこぐ」と言う言葉。
腰まである雪の中を前に進むとき、それはまさに水を渡るときのように「漕ぐ」のだ。一歩一歩両足に力を入れ、雪や水の圧にまけずに進む様子が脳裏に浮かぶ。

雪の怖さ、すごさは二百年前の様子と現在の未曾有の豪雪と少しも変わらない。

雪という白い魔物がいかに恐ろしいか、雪を愛でるのは『これ雪の浅き国の楽しみ也』を痛感。