飛翔

日々の随想です

与謝野晶子 (夜明けの色の茜染め)

歌人与謝野晶子は夫与謝野鉄幹がパリに渡航して独り寝のさみしさを歌った歌がある。

ひとり寝

良人の留守の一人寝に
わたしは何を着て寝よう
日本の女のすべて着る
じみな寝間着はみすぼらし
(省略)

わたしはやはりちりめんの
夜明けの色の茜染め、
長襦袢をば選びましょう
重い狭霧がしっとりと
花に降るよな肌触り、
女に生まれたしあわせも
これを着るたびおもわれる

(省略)

旅の良人も、今ごろは
巴里の宿のまだろみに、
極楽鳥の姿する
わたしの夢を見ているか。

(「与謝野晶子詩歌集」弥生書房より)

こう悩ましくも切々と女心を歌っている
あの時代に率直で大らかなこの歌いっぷりはどうだろう!


こんな想いがつのってたくさんの子供を置いて夫の元へ旅立っていった晶子。

大胆で奔放。
そうかと思うとやっと愛する夫の側にいられて歓喜するかとおもいきや、こんな歌を詠んでいる。

  郷愁

知らざりしかな、昨日まで、
わが悲しみをわが物と。
あまりに君にかかわりて。

(省略)

わが聞く楽(がく)はしおたれぬ、
わが見る薔薇はうす白し、
わが執る酒は酢に似たり。

ああ、わが心やむまなく、
東の空にとどめこし
我子の上に帰りゆく。

(「与謝野晶子詩歌集」弥生書房より)

母であることよりも妻、女を優先した晶子なのに子を想う母になってしまう。
あの時代にこれだけ感情のおもむくままに行動し、才能を開花させることができたのは一体何だったのだろうか?

歌人石上露子(いそのかみつゆこ)は「家」の為に恋人と結婚できず薄倖な生涯だったし、金子みすずも意にそぐわぬ夫の為に苦労し、自殺した。今で言う文壇3人娘(?)だった、与謝野晶子、石上露子、山川登美子。晶子を除く2人は時代に押しつぶされて全生涯を意あるものとして全うできなかった。連れ添う伴侶の文学的無理解に苦しんだことは金子みすず、露子、登美子と皆同じ。与謝野晶子だけはその対極にあることは特筆すべきことだ。

晶子はと言えば、愛しい人と添えたというみなぎる幸福感と自信、しかもその夫が才能を開花させるための師でもあったことと、晶子自身の強い意志力とがあいまって与謝野晶子を形成していったのだろう。
一人の女としても、妻としても、母としても充実。
好きな道である歌に対しても夫の強烈な支えと導きにより世に名声を博した。

「一人の女という前に、一人の人間としてあるべきでありたい」という思想の礎は、山川登美子にも、石上露子にもあったであろう。

もしかしたら、晶子より、薄倖であった登美子、露子の方が強烈にこの思想は脈打っていたかもしれない。

しかし、のしかかる時代をはねのけるだけのバックアップもなく、力もなく、虚しく矢折れた登美子、露子の無念に私は想いが重なってならない。