飛翔

日々の随想です

朔太郎とおだまきの花

萩原朔太郎の第一詩集「月に吼える」が出版されたとき、今までの七五調の詩の殻を破った自由口語詩として日本の詩壇を大いに揺るがした。
また「異常な感覚、病的な神経」を取り上げ、「地面の底に顔があらわれ、さみしい病人の顔があらわれ。」と連用形で重ねられてゆく「音楽性」も注目されたのだった。

さて、その朔太郎の娘で小説家萩原葉子が娘の立場から初めて、父の詩「月に吼える」の誕生を解き明かし、同時に朔太郎の生き様とすさまじい家族の相克を描いたものが本書である。

上記の「異常な感覚、病的な神経」「連用形で重ねられてゆく音楽性」の謎をその生い立ちから順にさかのぼって解き明かすにつれ「月に吼える」に潜む詩人の心のうちが謎解きされていくのである。
謎解きは朔太郎が名門医師の長男として生まれたところからはじまる。
朔太郎の父は幼い朔太郎に屍体解剖を見せ医者の跡継ぎになるよう育てた。その結果感受性の鋭い朔太郎は原因不明の高熱を出し、糸のようにやせ細り、怯え、夜中にふらふらと起き上がり「お化けがいる」と泣くようになった。

「異常な感覚、病的な神経」の根がここにあった。

幼児期に見せられた屍体解剖の恐ろしい記憶が常に朔太郎を苦しめ怯えさせ孤独にさいなまれる様は凄まじい。

また不承不承見合結婚し、生まれた長女の葉子(著者)と妹明子は実の母が愛人を作って離縁したため祖母宅に寄宿。
祖母にいじめ抜かれ食事もろくろく与えられず赤城山利根川に捨ててしまえとののしられ育つ。
著者は本書の中で「人生は過失である」と書いた朔太郎の詩を思い起こし、「生まれてから思春期までそれは苦しみの連続です。父上の思春期は《月に吼える》が出版されるまでと言ってよいでしょう。あとは少しずつ暗闇から抜け出してゆき、・・」と書く。

朔太郎は名門医師の跡継ぎとしての重荷と屍体解剖を見た幼児期の恐怖に怯え苦悶してきた日々を《月に吼える》という詩集で吐き出すことができたのだった。
朔太郎は父に処女出版した詩集をみせて激怒される。「これは、ぼくのすべてを吐露した詩です。ここまでたどりつくのに苦しみました。《詩はただ、病める魂の所有者と孤独者との寂しいなぐさめである》と書いたように、それがすべてです」と朔太郎に文中で吐露させている。

朔太郎の《月に吼える》の詩の誕生をこのように壮絶な内面の葛藤で解き明かした作者。

では作者の生育過程はといえば父朔太郎からも、実母からも、祖母からも無視され、捨ててしまえといわれ続け、生きていることさえ否定され虐待され続けたのだった。
にもかかわらず、後年、子供を捨て、男のもとへ走った母を探し出し亡くなるまで暮らした著者。
血は水よりも濃しなのだろうか。

血は水よりも濃しは何もこの母の件に限った事ではない。子供も妻も省みずただひたすら文学の人であった父を描いて幾つもの文学賞を受賞した著者。
最後の遺作となった本書では、その偉大な父の詩を娘の目から解き明かすという快挙をし、著者にはまごうことなく偉大な詩人萩原朔太郎の血が脈々と流れ受け継いでいることを証明している。

朔太郎を知る上で今後本書をはずすことはできないであろう作品である。

著者は2005年7月1日急逝。遺作緊急出版である。