飛翔

日々の随想です

箸置きと銀の食器

 高校・大学を通して同じ学び舎だったS子とはいまだにメールで切磋琢磨しあっている。一人でこつこつ勉強しているとくじけそうになるが、友もがんばっていると思うと励みになる。

 友といえば、作家の北壮夫と辻邦生とは親友関係である。高校からの書簡のやり取りが書籍になったが、そのアカデミックで、情に篤い、男の友情ぶりがうらやましくなる。

若き日の友情: 辻邦生・北杜夫 往復書簡 (新潮文庫)
辻 邦生,北 杜夫
新潮社

 父が大学に入るとき、わたしにこういった
 「本を読め。生涯の友をつくれ」と。
 私と親友のS子は、生活に追われる主婦の座にあっても、英文法を考え、昨今の本を読みあい、文章論を問い、夢を追いかける友がいることが嬉しい。物理的距離があるからお互い、べたべたした関係でなく、客観的になれるのがよいのかもしれない。 身近なお茶ともだちも悪くない。とりとめもないおしゃべりも、わたしは好きだ。しかし、いまだに蒙古痣(もうこはん)が残るような青い会話をする友がいるのはわたしに青春の影をひきずらせて細胞が若やぐ。
 たとえ百歳になっても、おしゃれをし、颯爽とヒールの靴音を鳴らして歩く女性でありたい。
 英国にいたとき、英文学の老先生のお宅に伺った。先生は銀の食器で食事をたのしんでいらしゃった。誰も見ていない独り身の食事でも、銀の食器でゆったりと優雅なひと時を過ごす姿がとても素敵だった。

 向田邦子さんのエッセイにあったと思うのだが、向田さんは一人の食卓にも箸置きを使うとか。

 独身の怠惰な生活をいましめ、日常にも美しいしつらいをしてこそ内面の美が備わるのだと思う。
 お互い切磋琢磨できる友人の存在はわたしを怠惰から救ってくれる箸置きであり、銀の食器である。