飛翔

日々の随想です

『きの音』宮尾登美子著

この本は十一代市川團十郎をモデルにした長編小説である。
 歌舞伎の世界でも一世を風靡した天下の美男、不世出の役者「海老サマ」がモデルである。
 ある歌舞伎役者の女中として雇われた一人の女性、光之が戦前から戦中のもののない時代を転々と移り住みながら、主にじっと仕え、忍従しながらも、戦後大名跡を継ぐ役者になる主を支え、二人の子供をなし、正式に妻と迎えられるまでの影のような人生を描いた作品だ。
 梨園の世界の複雑な人間模様を交えて息をもつかせぬが、不器用な主を影からじっと支え続ける一人の女の愛の深さに感動を覚える。
 特に「聖母子」の章は産婆も介添えもない家の中で一人で子供を産むところは崇高で、この女性の気高い魂に心が震えた。
独りで子供を産むと言ったが、その場所はトイレ。


 実際多くの人からの取材を元に書かれているだけに、封建的な歌舞伎の世界、特に実存の梨園の役者とご贔屓からの反発はすごかっただろうと推測されるが、じっくり読めば、市川宗家を支えてきた影の人の功績をたたえるのに異論のでるはずもない作品だと理解できるだろう。