飛翔

日々の随想です

素肌にまとうもの


まばゆい陽光がレースのカーテン越しに射してきて朝の訪れを教えてくれる。
 ベッドに半身を起こし、オーデコロンを素肌にそっとおく。その上に絹をまとえば、ひんやりした感触が眠気の残った肌を小気味よく刺激して心地よい。
 女は素肌に何をまとうか?それで朝がきまる。
 初夏ならば清々(すがすが)しい香りのオーデコロンをつける。さもなくば石鹸の香りが漂う素肌に洗い晒しの男物のシャツを羽織りジーンズを小粋なパリジェンヌのようにきりりと穿く。
 アンニュイな土曜日はベルギー製の豪奢(ごうしゃ)なレースをふんだんにほどこしたランジェリーをまとって秘(ひそ)やかに、たおやかに「女」になってみるのも悪くない。
 私が香りのとりこになったのは高校生のとき。
 一回りはなれた従姉は女優の卵。お小遣いが足りなくなると父の会社に電話をかけてきてお昼をご馳走してもらうのだった。その日はわが家へ来て泊まり、私たち従姉妹とおしゃべりしたり叔母である母と打ち解けて話すのが習いだった。
 そんな従姉のお姉さんは朝起きるとけだるそうに体を起こして素肌に香水をつけるのだった。
 その甘やかな香りを美しい象牙色の肌につけるしぐさは泰西名画から抜け出したかのようだった。
 従姉は私に、
 「香りの選び方とつけ方でその女(ひと)のセンスが分かるものなのよ」
 と言った。
「香りは素肌にまとう極上の衣。香りを選ぶ楽しさ、まとう喜びは女の特権かもしれないわ」
 と言って花のように笑うのだった。
 それ以来私にとって香水をつけることは大人の女のあかしのようで、香りをまとうその日を憧れるようになった。

 大学生になって、私にもボーイフレンドができた。カフェで待ち合わせてデートするようになり、文学の話や建築の話題で盛り上がった。その中で私がフランソワーズ・サガンの『悲しみよこんにちは』を読んでいることを告げると、物語について詳しく教えてといわれた。

 私はそのとき、偶然にも『悲しみよこんにちは』の主人公Cecile(セシル)がしていたセシルカットと呼ばれる短いヘアスタイルをしていた。多感な少女のセシルと同じ17歳だった私はパリに憧れていた。
 仏蘭西の女の子が最初につける香水は「ソワル・ド・パリ」と呼ばれるものであった。「ソワル・ド・パリ」(パリの宵)は、シャネル「NO5」を創った天才調香師エルネスト・ボーが、たそがれのパリに月光が瞬き始める頃の華やかな情緒をイメージして創った名香である。
私は物語のあらすじを語りながら、ボーイフレンドに、
 「フランスの女の子が最初につける香水、ソワルド・パリってどんな香水かしら?」
 と夢見るように尋ねた。
 香水やパリには縁がない彼はただ黙って夢見る私をみつめるだけだった。
 クリスマスの日、彼はリボンがかかった包みを渡してくれた。開けてみると地中海ブルーのガラス瓶があらわれた。金色のふたがついている香水だった。それはあこがれていたあの「ソワルド・パリ」だった。

 封を開けて手首につけてみると、思いのほか爽やかな香りだった。
 たそがれのパリに月光がまたたき始める頃をイメージして作られた香水は、意外にも湖畔の朝の風景がよみがえる香りだった。
 全世界のベストセラーとなった『悲しみよこんにちは』は、太陽がきらめく、南仏の海岸を舞台に、青春期の少女ががもつ特有の残酷さと感傷に満ちた好奇心、愛情の独占欲、反発を描いたものだ。
 少女から大人への入り口にさしかかっていた私は小説の主人公、セシルと自分を重ねていた。従姉妹のおねえさんのような、大人の女に憧れていた。
 ソワルド・パリをプレゼントされ、大人への切符を手に入れたように思えた。

 
 「おいしいパンが焼ける匂いがする朝っていいなあ」
 突然夫の声で、長い夢から覚めた私は、焼きたてのパンをオーブンからとりだした。
 「ねえ、フランスパンとイギリスパンとどっちが好き?」
 と尋ねる私に夫は首をすくめながら、
 「そりゃ米粉をまぜた玄米パンに限るよ」
 と答えた。
 あのソワルド・パリの贈り主にとって「パリの宵」よりも、「日本の朝」のほうがしっくりとあっているのだろう。

 「香りは素肌にまとう極上の衣」
 という従姉の言葉はまるで「残り香」のように私の思い出の中に玄米パンとの香りと共に今も匂いたつのである。


 ※ソワルド・パリは今は生産中止となっている。

悲しみよこんにちは (新潮文庫)
フランソワーズ サガン,朝吹 登水子,Francoise Sagan
新潮社