飛翔

日々の随想です

極上の衣

 
 まばゆい陽光がレースのカーテン越しに射してきて朝の訪れを教えてくれる。
ベッドに半身を起こし、オーデコロンを素肌にそっとおく。
その上に絹をまとえば
ひんやりした感触が眠気の残った肌を小気味よく刺激して心地よい。
女は素肌に何をまとうか?
それで朝がきまる。
初夏ならば清々しいグリーンノートな香りのオーデコロン、
さもなくば石鹸の香りが漂う素肌に洗い晒しの男物のシャツを羽織りジーンズを小粋なパリジェンヌのようにきりりと穿く。
アンニュイな土曜日はベルギー製の豪奢なレースをふんだんにほどこしたランジェリーをまとって秘やかに、たおやかに「女」になってみるのも悪くない。
 私が香りのとりこになったのは高校生のとき。
一回りはなれた従姉は女優の卵。
お小遣いが足りなくなると父の会社に電話をかけてきてお昼をご馳走してもらうのだった。その日はわが家へ来て泊まり、私たち従姉妹とおしゃべりしたり叔母である母と打ち解けて話すのが習いだった。
 そんな従姉のお姉さんは朝起きるとけだるそうに体を起こして素肌に香水をつけるのだった。
その甘やかな香りを美しい象牙色の肌につけるしぐさは泰西名画から抜け出したかのようだった。
従姉は私に「香りの選び方とつけ方でその女(ひと)のセンスが分かるものなのよ」と言った。
「香りは素肌にまとう極上の衣。香りを選ぶ楽しさ、まとう喜びは女の特権かもしれないわ」と言って花のように笑うのだった。
 それ以来私にとって香水をつけることは大人の女のあかしのようで、香りをまとうその日を憧れるようになった。
 あれから何年経ったことだろう?
私も香りのお洒落が似合うようになった。
 「香りは素肌にまとう極上の衣」という従姉の言葉はまるで「残り香」のように私の思い出の中に今も匂いたつのである。