飛翔

日々の随想です

暴露の功罪

向田邦子の恋文 (新潮文庫)

向田邦子の恋文 (新潮文庫)

航空機事故で急逝してしまった向田邦子さん。
この本は向田さんが亡くなって妹の和子さんが残された遺品の中からみつけたカメラマンN氏に宛てた向田さんの手紙とN氏の日記である。死後20年を経ての公開である。
読めば読むほど向田さんのけなげで一途な人柄に心うたれる。
カメラマンN氏は向田さんより13歳年上の妻帯者だったようだ。病気で倒れ働けなくなったN氏はN氏の母親の離れで一人ひっそり病の床につく暮らしだった。
そこへ放送作家として多忙極まりない向田邦子が日々食事の世話に訪れ、仕事の理解者でもあった愛するN氏との絆を深め、信頼を深めお互いが生きる糧となりあって寄り添っていった様子がわかる。しかしそれは決して公にすることなく秘かなることであった

その一方で向田家の長女としても気丈に家計を助け家族の心の支えでもあり続けた向田さん。
四方八方に気働きのよくできた向田さんはN氏にだけはほっと心をほどいて一人の女としての幸にたゆたったのではなかろうか。
信頼しあい、支え合って絆を深めていった二人ではあったけれど、脳卒中で不自由な体のN氏はある日、自ら死を選んだ。先行きのない前途に邦子さんをこれ以上巻き込むことができないと思ったからであろうか。愛するがゆえの自死であったろう。
そのN氏へ宛てた向田邦子の手紙とN氏の日記はN氏の母から死後茶封筒に入れてそっくり邦子に託された。
本書はその秘められた茶封筒の中身を公開したことになる

この本からは、向田邦子のけなげな人となりとその生き様が本当に読むのがつらくなるほど痛いくらい読みとれる。母をして娘以上の存在だったと言わしめる向田邦子。家計を支え、家族の心のかなめとして日々心をくだく向田。
そんな邦子を愛し、仕事の良き理解者でもあったN氏との秘やかにして心ほどける日々の手紙とN氏の日記。
向田邦子を全て知りたい人にはかけがえのない一冊であるといえよう。
しかし向田邦子さんからしてみれば、まさか自分の大切な「心」と愛する人の「日記」まで公開され、世に晒されてしまうなどとはゆめゆめ思わなかったことだろうに・・・
日記や手紙というものは第三者の目にふれられないという大きな安心の上で心を解き放って書かれるものである。特にN氏はあくまでも市井の一個人。その個人の日記までも公開してしまうことに疑問をいだく。
向田邦子本人は、家族にも他の誰にも知られないよう秘やかに紡いできたN氏との絆である。
向田さんの人生で最も大切にしていたものを公に晒されてしまった感がいなめない
 他の何はさておいてもこれだけは最後まで秘して封印すべきものだったのではなかろうか。向田さんを知れば知るほどそう思えてくる。それは本書を読むほどに感じるのであるから何とも皮肉なことである。

 おそらくお墓の中まで持っていきたかった愛する人の日記であり、二人で紡いできた書簡の数々。実の妹の手で世の中に公開されてしまったことを天国で向田さんはどうおもっているだろうか?
一般人であるN氏の日記は向田邦子の恋人であったというだけで公開され、実の親にも妹たちにも秘密にしていた向田さんの心のよりどころを、航空事故で亡くなったがゆえに故人には無断で公開されてしまったこと。

作家であることの悲哀をかんじないではいられない。
そして何よりも強く思うのはこの本を上梓しなくとも、つまり恋人の日記や二人の書簡を公開しなくても、向田邦子という人物の素晴らしさや人柄や作品の評価は変わることがないということだ。
つまり、この本は世に公開されなくとも何一つ向田邦子さんの評価は変わることがないということだ。封印されるべき品々の公開であった。実の家族にも知られないようにしてきた秘められた恋を暴かれて天国の向田さんは嬉しいだろうか?

死んでしまった人にはプライバシーはないのだろうか?作家には何もかもあらいざらい読者に提供しなければならないのだろうか?

きりりとした佇まいの美しいありし日の邦子さんの写真がその表紙を飾っている。美しくけなげに生きた人の顔がそこにあった。

※書評と云うものは概して人にお奨めの本の紹介であるが、今回の書評に限ってはお奨め本では決してない。
私の憤怒(ふんぬ)のあらわれとしての書評である。
誰に対しての怒りかは言わない。