飛翔

日々の随想です

小説日本婦道記

小説日本婦道記 (新潮文庫)
山本 周五郎
新潮社
武家の時代に男は命をかけて主君に使えていた。
一方それを支えていた妻や女達も献身的に、時には不遇を予期しても凛とした生涯をつらぬいてきた。
本書はそんなつつましくけなげに生きてきた多くの日本の母や妻や女たちの生き様11篇を編んだものである。
主題は聡明な日本女性の魂の力強さと美しさにある。「それはその連れそっている夫も気づかないというところに非常に美しくあらわれる」と作者自身が語っている。
11篇の中でも第1作の『松の花』は本書の巻頭になくてはならない作品だ。

主人公藤右衛門64歳は古今の誉れ高き女性達を録した「松の花」の稿本の校閲をしていた。そんな折、妻やす女が不治の病で臨終の床にいた。妻の末期の水を唇にとってやった籐右衛門は夜具の外にこぼれた妻の手を夜具に入れ直してやろうとしてはっとする。そのまだぬくみのある手は千石という豊かな禄を得る主婦の手ではなかった。ひどく荒れた甲、朝な夕な、水をつかい針を持ち、くりやに働く者と同じ手であった。なぜこんな荒れた手に?その疑問はやがて解明する。そして籐右衛門は「これほどのことに、どうして気がつかなかったのであろう。自分が無事にご奉公できたのも、陰にやす女の力があったからではないか、こんな身近なことが自分には分からなかった。妻が死ぬまで、自分はまるで違う妻しか知らなかったのだ」』
・ ・の述懐となり、「世に誉められるべき婦人達は誰にも知られず形に残ることもしないが柱を支える土台石となっている」とつぶやく。

これを読んで私は亡き母の手を思い出した。母の手も何十年と水をくぐった荒れた手だった。生前の母にねぎらいの言葉や感謝の言葉をかけることをしなかった父や子供の私。もしかしたらこの『松の花』のように母のことを何も知らないで過ぎてしまったのかもしれない。

本書は一時「女だけが不当に犠牲を払わされている」と批判されたこともあるようだが、さにあらず。作者自身は声を大にして「夫が苦しんでいるときに、妻も一緒になって苦しみ、1つの苦難を乗り切っていくという意味で書かれたものであり、女性だけが不当な犠牲を払っているわけではない。世の男性や父親達に読んで貰おうと思って書いたものだ」と述べている。

また本書は戦時中の用紙困窮している時に書かれたものだったので「むだな描写は木の葉一枚でも許さぬ」という心意気で書かれたものでもある。
読後、静かにわき上がる感動の涙と、襟を正して端座する心持ちになったのは私だけではないであろう。
本書を持って直木賞を受賞したが、氏は直木賞をはじめあらゆる文学賞をすべて辞退した。
氏にとって読者から与えられる以上の賞があるとは思われぬという固い信念の所以でもある。
じっくりと本書を味読されたし!