飛翔

日々の随想です

香りをたどれば

夕食後,夫とウオーキングするのが日課となった。
 ウインドブレーカーに帽子をかぶって手袋姿。20分もすると汗がでてくる。
 家の周辺には大小の池があり、一周すると一時間ほどとなり、約一万歩。
 郊外にあるひなびた池の周辺は都会の喧騒から離れて街路灯もまばら。
 夜目にも池の水際(みぎわ)につがいで休んでいる真っ白なアヒルが眼に入る。
 いつも同じところで二羽が静かに眠っている。
 その脇を通り過ぎると、街路灯のない一角にでる。
 普段街路灯や、商店の明るい照明になれていると暗闇の戸外は足元がおぼつかない。

 そうなると人間は不思議なもので五感をフル活用する。
 たとえば、暗闇なのであたりの音に耳をすますようになる。耳ばかりでなく、嗅覚も普段より鋭敏になる。

 昨日はこんなことがあった。薄暗い夜道にふと高貴な香りが漂ってきた。鼻を頼りに香りの元をたどると一軒の庭にでた。
 香りの主は蝋梅(ろうばい)の花だった。

 蝋梅はその字の如く、蝋(ろう)細工でできたような小さな花が木に咲いているのだ。
 黄色く可憐な小さな花は気品に満ちた香りを当たり一帯に漂わせていた。
 その香りは梅の花にも似て気高(けだか)い。
 闇の気配をやわらげ、あたりをかぐわしくするその花のあり様はなんとも美しい。

 文明が発達して暗闇の恐怖と不便さを解決してくれたのは電機の発明であり照明器具の発展である。
 太古から人間は闇の恐怖におののきつつ、月明かりや星空の神秘と美しさに感動し、自然への畏敬の念を持った。

 しかし、文明の利器がはったつするにつれ、星や月を仰ぐことが少なくなり、不夜城のごとくスイッチ一つで明かりが消えることはない。
 五感を研ぎ澄まさなくとも済むようになった。

 昨夜のように灯りがないところでは嗅覚が鋭くなり、音に敏感になる自分を自覚して思わぬ「香りの贈り物」と出会うことができた。

 気品に満ちた香りに導かれるなんて、なんて素敵なことだろう!
 ウオーキングの愉しみが又一つできた。
 昨夜は合計一万七千歩歩いた。