子供の頃から姉も私も、家族みんな庭を愛でてきた。たとえ一坪でもよい、木や花が植えらていないとさみしく思うのだった。
すぐ上の姉は美的センスが子供の頃からあった。ある日、この姉が庭を眺めていたかとおもうと突然走り出して裏庭の隅に捨ててあった苔むした石をずるずる、うんうん言いながら引きずってきて池の淵に置いた。そこに石を置いたとたんに池と庭に区切りがついて引き締まった。それはあたかも、一つの長文に句点を打ったようだった。
出入りの植木屋がやってきてこの池の風情をみてびっくりした。驚く植木屋に母はこういった。
「小学生の娘が石をずるずるひきずってそこに置いたんですよ」
と説明すると植木屋は
「すごいなあ!いつもここに留めになるものを置きたいと考えていのだけれど何が良いか分からないでいたんです。見事な留め石になったなぁ」
と言ってうなった。
その池に縁日の金魚すくいで得た金魚を数匹放した。その金魚すくいも姉の得意技だった。薄紙がやぶれても金属の輪に金魚をひっかけるようにしてすくうのでいくらでもすくえた。金魚屋は、
「お嬢ちゃん、そんなずるしたらもうすくわせないよ」
と言って怒った。
そんな離れわざで獲得した金魚は我が家の池で丈夫に育った。ある日、金魚がお腹をみせて浮いていたのを発見。
「うぇ〜ん、金魚が死にそうだ」
と泣く私に、いつも子どもたちには無関心な父が
「よし!お父さんが助けてやる!」
と言って庭下駄をつっかけて庭にでた。姉も私も母も家族総動員で金魚を救え!とばかりに池のまわりに集まった。
父が仁丹を一粒口に含んで噛んだ。粒がまだ残っている状態の仁丹を金魚の口に押し込んだ。口をパクパクと虚空にあけて苦しんでいた金魚は仁丹を食べたとたんにもがくように尾びれを見せて池の中に泳いでいった。
「あ!生きかえった!」
姉は嬉しそうに父をみあげた。
「お父さん、すごい!」
私は嬉しくなって父にしがみつきたかったけれど、それまで、そんなことをしたことがないので、もじもじしているうちに父は家の中に入っていってしまった。
私はこのときの光景をいつまでも覚えている。愛情表現が苦手だった父はいつも家族に冷淡だったけれど、
「よし!お父さんが助けてやる!」
と言った時の顔と声はいつまでも心の中に暖かく残っている。
父にいつも叱られてばかりだった姉が、嬉しそうに父を見上げた目も私は忘れない。
たかだか小さな我が家の庭だったけれど、父はいつもそこで焚き火を楽しんだし、母は草花を植えて愛した。姉の隠れていた芸術的才能は庭の中で花開いたし、私の孤独はそこで癒されたのだった。
私の人生から庭の思い出は切り離せない。
五歳までいた埼玉の庭の思い出は、草の中に実った真っ赤な苺、よもぎを摘んで作る母の草もち。
六歳から嫁ぐまでいた渋谷の家の庭の思い出は黄色やピンク、深紅の薔薇の香りに包まれた日々。
イギリス、ウースターの庭に咲く忘れなぐさにふるさとの恋しい人を想った。
カンタベリーの庭には野狐が夜毎あらわれ、闇に光る目が妖しく胸をとどろかせた。
庭に心をよせるとき、様々な想いが去来する。それは在りし日の父の思い出だったり、母や姉のことなどだ。
庭に忍び寄る黄昏(たそがれ)はさみしくて美しい。
それは沈み行くことへの惜別の情である。
2011年8月13日お盆の入りの日に在りし日の父や母の思い出を綴ることができ、また懐かしい日々を思い出すことができて供養となったかもしれない。