飛翔

日々の随想です

叱るということ


過ちを認めることは難しい。
 老練な人ほど己のミスを指摘されると自分の面子や対面、地位を大切にするあまりミスを認めないことがある。原発事故で責任を取った人がいただろうか?
あの池袋暴走事故の加害者は幼い命とその母親も日殺したのに、未だに罪を認めない。
 人の真の姿が見えるときである。
 母はいつも自分のものさしでものを言ってはいけないと言っていた。慢心は慎まねばならないとも言っていた。
 母は私を叱る時、
 「痛いところを指摘されると、きっとあなたは面白くなかったり、怒ったりするとおもうけれど、本当のことを言ってあなたを叱れるのはお母さんしかいないとおもうので言います!」
 と言った。
 「他人は嫌われたくないのでおべんちゃらを言ったり、見てみぬふりをするものです。でも陰では悪口を言ったり非難したりするものです」
 とも言った。母がこう言って叱るときは心底、胸にこたえた。理にかなったことをいい、母の親としての心が伝わってくるので反抗心はわかなかった。日ごろ母自身も自らを厳しく律していたので言葉の一つ一つが胸に響いた。
 自分のことを棚にあげて人を叱ったり非難することはできない。
 親になるということは自分の背中をみせることだ。
 もう叱ってくれる人がいなくなってしまった。
 自らを叱咤するしかない。