飛翔

日々の随想です

骨董品


骨董やアンテイックの店に入るのが好き。
私が古い物に目覚めたのはお煎茶の師に弟子入りして以来のこと。煎茶の師の風貌をひと言で言えば「鶴のような人」。
この鶴のように美しく孤高な老婦人は素晴らしい知性と鑑識眼の持ち主である。
赤貧洗うが如き生活の中からこつこつと集めた品々は高名な煎茶の宗匠までが見せて欲しいと訪れる逸品を持っている。
第一級の鑑識眼はその生い立ちにあるようだ。
日本でも屈指の知識人であり、華族の流れを汲む父親のもとに育ったこの婦人は幼い頃より父親の骨董収集のお供で色々な品々を見て育ったようだった。夫の病気の為に零落して辛酸をなめた婦人は今は独りひっそりと茶の道で糊口(ここう)を凌(しの)いでいるのだった。
家財がほとんどないこの家に入って先ず驚くのはそのおびただしい量の書籍。どんなジャンルの話しでも怜悧な切り口の反応が返ってきて、恐れ入るばかりだ。美しく鶴のような身のこなし。気品に満ちたその容姿は鄙にはまれで、なんぴともを寄せつけない光りを放っている。
さて、すっかりこの師に心酔した私はこの師が通う骨董屋のお供を申し出ることにし、その鑑識眼とやらを私もみにつけることにした。
骨董屋のオヤジと世間話をするのが情報を得たり、自分の好みを知らせる一つの方法らしい。
骨董屋、おっと、この道の人は「道具やさん」と敬意を表する言葉で呼ぶらしい。
さて、その道具やのオヤジは狭い店の一角に畳を敷いて座っていた。
「おや、先生、いらっしゃい」
先生がかねてより欲しいと狙っている茶櫃を取り出して、こぎたない布で拭きだした。ついでのようにお茶の道具を出してその茶碗もそのこぎたないフキンで拭いて我々二人に茶を注いでくれた。
結局その日は何もかわずに世間話だけで帰ることにした。
途中のうなぎやで昼食を食べながら先生に私はこう言った。
「ねえ、先生。あの道具やのおやじさん、随分きたないフキンでお茶碗を拭いてだしてくれましたねえ。気持ち悪かったですね」と。
すると先生は笑いながら、「いやねえ、あの茶色いきたなそうなフキンは茶渋をつけてわざとあんなふうにしているのよ」とおっしゃった。
つまりまっさらなフキンでなく、お茶の渋がついた布巾でふくと道具に何とも言えない艶がでるという。
「あなたも大事なお道具は茶渋のついたお布巾で磨きなさいませ」とのたまった。
あ〜ぁ、知らないとはげに恐ろしや!
かくして爾来せっせと私も茶渋の付いた布巾で茶道具を磨く日々を送っている。
そしてずぶの素人の友人が来て、「そのこぎたない布巾、いい加減に捨てたら!」などと言おう物なら、待ってましたとばかりに私は言うのである。
「いやネエ、これだから素人の無知は恐ろしいっていうのよ。これはね、そもそもね・・・」と薀蓄(うんちく)を傾けてにわかじたての知識を披露するのである。
そしてこの友人は憮然(ぶぜん)として家に帰り、いつのまにか同じように茶渋のついた布巾でせっせと茶道具を磨く生活を送り、友人がくると待ってましたとばかりに講釈を垂れるということになる。
かくして我が家には私のいい加減な鑑識眼で選んだ蛸唐草の茶碗や、トクサ模様のご飯茶碗、すんころくの椀、虫くいの茶杓李朝の壷らしきものなどが所狭しと並ぶに至った。

そのうち、収集している本人が骨董品になるのもそう遠くない日がやってくるのだろう。