飛翔

日々の随想です

テンペスト

 こんな荒れ狂った日は、ベートーベンのピアノ・ソナタ第17番ニ短調作品31-2を弾くとしっくりするのだろうか?
 外は雨も風も強くない。
虫の声すらする。嵐の前の静けさか。
 家の中は物音一つしない静寂がある。

一番怖い音。それは、音の世界を知っている者にとって、何も音のないことかもしれない。
 宇宙のかなたに飛んだ宇宙飛行士はどんな音を聞いたのだろうか?
月に着陸した宇宙飛行士たち。その中の何人かは「神」をみたといった。

 中学生になって遠足で潮干狩りに行った。
小さな穴から潮を吹いたところを掘ると貝がでてきた。
面白く、夢中になって貝を採った。
貝は生きている。
貝は呼吸をしている。
貝は広い海の白い砂浜に、その生を謳歌していた。

 家に帰って次の朝、貝汁を煮た。鍋のふたをあけてみると、貝がふたを突然ぱかっと開いた。
 「死んだ!」 
 私はその日を境に貝を食べることができなくなった。
 貝はぐらぐらと煮えた湯の中で苦しくて固く閉じた口を開く。それは開放であり死である。

 貝のように固い口をもった人の口を開かせるには、煮え湯をのませないと開かないのだろうか?
 残酷なことだ。苦し紛れに開いた口から発する言葉は、死を持ってあがなうものである。
 固い口を開かせるものは何だろうか?
厚い上着を脱がさせるものは太陽である。
一枚、一枚と服を着させるものは北風だ。
 テレビはは嵐の前触れを告げている。
 私はテンペストを狂ったように弾く。
今日貝の口を開いたのは誰?