飛翔

日々の随想です

第百四十六回芥川賞受賞作品『共喰い』

文藝春秋 2012年 03月号 [雑誌]
リエーター情報なし
文藝春秋

  昨日は文藝春秋に載っている第百四十六回 芥川賞作品を読了した。そう。テレビで受賞会見をやったとき、「しかたがないから受けておいてやる」と名言、迷言を吐いた田中慎弥の受賞作である。
 『共喰い』
 17歳の主人公篠垣遠馬は父と義母の性行為を盗み見る。父親の尋常でない性行為、殴りながらでないと快感を得ないという性行為に反発しながらも、自分も父の性癖を受け継いでいるのではないかという思いのなか、一つ年上の女友達と日々性交を続ける。
 実母、義母、女友達、アパートの女、父と自分が織りなす性行為の中に少年の混沌が重く積み重なっていく。
 環境描写が実に丁寧。特に川がキーワードになっている。父親は川を「女の割れ目」だという。少年は汚水まみれのどぶ川についてこう吐露する。
 「なんが割れ目か。川なんかどうでもええ。こういうところで生きとるうちは何やっても駄目やけ。どんだけ頑張って生きとっても、最終的にはなんもかんも川に吸い取られる気ィする」

 と父と息子の考え方の違い、少年の混沌と懊悩を川になぞられ、うなぎ釣りにデフォルメしているところが白眉。そして結末も川とかかわりながら終わる。
 構成の緻密さ、丁寧な環境描写は光る。少年の欲望まみれの日々と父親と女たちの欲情の暗さは澱みに澱んだ川にも似て、プスプスとガスを伴ったへどろのような熱を感じる作品だった。

 *p2*[書評]わが心の歌―望郷のバラード

わが心の歌―望郷のバラード
天満 敦子
文藝春秋
ヴァイオリニスト天満敦子さんの自伝である。

この人から発せられる不思議な天衣無縫な光彩に先ず惹かれる。
そしてその名器ストラデイヴァリウス「サンライズ」から奏でられるたえなる音に驚き、魅了されない人はいないだろう。
この人に魅せられた人はあまたいる。
井上光晴丸山眞男、海野義男、間宮芳雄、埴谷雄高宇野功芳、シゲテイ、
その出会いの妙は運命のようであって、必然であり、惹き合う様につむがれる交流に目を見張らされる。
運命といえばこの人には生涯きってもきれない曲「望郷のバラード」がある。
その数奇な楽譜の運命と天満敦子との出会い。それも運命的なものであった。

1883年29歳の若さで亡くなったルーマニアの天才作曲家チプリアン・ポルムベスクが遺した一編の旋律。「バラーダ」。
1977年ウイーン大使館に勤務していた外交官岡田眞樹氏は祖国ルーマニアから逃れて来た独りのヴァイオリニスト(イオン・ベレッシュ)の弾く小曲に心惹かれた。
それはイオン・ベレッシュが祖国からのがれるとき、楽譜と共に持ち出したルーマニアの秘曲だった。
この曲の心を理解してくれるヴァイオリニストがいたら日本で紹介してくれといわれて手渡されたのが一冊の楽譜「バラーダ(詩曲)だった。
この秘曲は圧制に反抗して投獄されたポルムベスクが獄中から故郷を偲んで作曲したものだった。
当時天満敦子はルーマニアでピアニスト深沢亮子と共にコンサートを開いていた時だった。
まさにこの秘曲は天満に・・とその百年前の秘曲の楽譜を岡田は手渡したのだった。
そんないきさつのある名曲についてのエッセイを岡田眞樹日本経済新聞1993年12月8日の文化欄に紹介したのをきっかけに「望郷のバラード」は広く世に知られることとなった。

さて、話を戻すこととして天満敦子は
作家たち、中でも一筋縄でいかない井上光晴に愛された。そのおおらかさを、そして何よりもその才能を愛してやまなかった文人である。
天満敦子は豊かな容姿にもうかがえるように、大河の流れのような人柄にその天賦の才が重なってあの強く、心の奥までわしづかみにして、浸透していく音色がかもされていくのである。

文の運びにもそのおおらかさと聡明さが光り、読者を魅了してやまない。
天才を天才として慢心せず、成功しても少女期に教えを受けた「ガミガミ爺」こと井上武雄のもとへヴァイオリンを聴いてもらいに行く天馬。父の野辺の送りをすませた直後、恩師へルマン・クレッバースが住むアムステルダムを訪ね、気持ちを建て直し音楽を学ぶ道の原点へ常に立つ人でもある。それは現在の今でも天満敦子はこの師のもとへ稽古に通っている。

天才はなるべくしてなったようで、そうでない。音楽と縁もゆかりもない両親ではあるけれど、その愛情に包まれて育まれたその結実なのである。その過程を天満は心よりの感謝と率直な描写でなぞっていき、実に好もしい自伝となっている。

天満敦子。その、人を惹き付けてやまない人柄とヴァイオリンの巨匠たちに磨かれた才能が数奇な運命の楽譜「望郷のバラード」と結びつき私たちの心を揺さぶる。
井上光晴に「ヴァイオリン一筋でいけ。わきめを振るな」と後押しされたように名器ストラデイヴァリウス「サンライズ」を「わが命!」として天満敦子は自伝を締めくくっている。