飛翔

日々の随想です

茜色の朝が、丘の露を踏みしめてやってくる


“the morn in russet mantle clad,Walks o'er the dew of yon high eastward hill:"
「茜色の朝が、丘の露を踏みしめてやってくる」

ハムレット」の第一幕の終わりに
夜じゅう亡霊に翻弄されたホレーシオが朝に希望を見出し語る有名なセリフだ。

かのT・Sエリオットがたたえてやまなかったセリフでもある。

窓をあけ、朝日を仰ぐとき、
このホレーシオの「茜色の朝が、丘の露を踏みしめてやってくる」が口をついて出た。

シェイクスピア没後何百年と経った今、
極東の片田舎に住む私の口からかのセリフがでるとは、
なんとシェイクスピアは偉大なのだろうかと思う。

茜さす朝の訪れは誰の心にも希望を抱かせる。

このホレーシオと聞くと思い出すのは
1903年(明治36年)5月22日、
一高生・藤村操が、日光・華厳滝わきの大樹を削り、
そこに「巖頭之感」と題した墨書を残して滝壺に身を投じたことである。

弱冠16歳、日本近代史学の祖として高名な那珂通世博士の甥でもあった少年哲学者の自死であった。

16歳にして次のような遺文であるからして驚く。

「巖頭之感」
「悠々たる哉(かな)天壌 
遼々たる哉古今 
五尺の小躯を以て此(この)大を測らんとす 
ホレーショの哲学竟(つい)に何等のオーソリチーを価するものぞ
 万有の真相は唯一言にして悉(つく)す 
曰く不可解 
我れ此恨みを懐いて煩悶終(つい)に死を決するに至る 
既に巌頭に立つに及んで胸中何等の不安あるなし 
はじめて知る 大なる悲観は大なる楽観に一致するを」

この遺文中の「ホレーショの哲学竟(つい)に何等のオーソリチーを価するものぞ」と、ホレーシオがでてくる。

奇しくも「ハムレット」の名セリフ「To be or not to be」
”永ろうべきか死すべきか”は、
かの坪内逍遙先生の名訳であるが、
藤村操青年も同じホレーシオならこの「ハムレット」の名セリフ、
「茜色の朝が、丘の露を踏みしめてやってくる」を思い出して欲しかったものだ。

「茜色の朝が、丘の露を踏みしめてやってくる」
何と希望に満ちたセリフではないか!

「人生不可解」
藤村操青年は煩悶するけれど、まさにその通り!
人生は不可解なものだ。

だからこそ生を全うし、
死ぬまで煩悶し解き明かさねばならぬのだ。

夜のとばりが明けるとそこには
「茜色の朝が、丘の露を踏みしめてやってくる」のだから。