飛翔

日々の随想です

小さな小さな砂時計


1903年(明治36年)5月22日、一高生・藤村操が、日光・華厳滝わきの大樹を削り、そこに「巖頭之感」と題した墨書を残して滝壺に身を投じた。
 弱冠16歳、日本近代史学の祖として高名な那珂通世博士の甥でもあった少年哲学者の自死であった。
16歳にして次のような遺文であるからして驚く。
「巖頭之感」
「悠々たる哉(かな)天壌 遼々たる哉古今 五尺の小躯を以て此(この)大を測らんとす ホレーショの哲学竟(つい)に何等のオーソリチーを価するものぞ 万有の真相は唯一言にして悉(つく)す 曰く不可解 我れ此恨みを懐いて煩悶終(つい)に死を決するに至る 既に巌頭に立つに及んで胸中何等の不安あるなし はじめて知る 大なる悲観は大なる楽観に一致するを」

弱冠16歳。驚くべき遺文である。16歳といえばまだ年端もない高校生。
“万有の真相は唯一言にして悉(つく)す 曰く不可解 ”

つまり何もかもこれ「不可解」ということだ。煩悶に煩悶を重ねついには自死となったのである。
「ホレーショの哲学竟(つい)に何等のオーソリチーを価するものぞ 」っというけれど、そのホレーショはハムレットの中で、

「「茜色の朝が、丘の露を踏みしめてやってくる」
“the morn in russet mantle clad,
Walks o'er the dew of yon high eastward hill:"

 と言っている。
 何と希望に満ちたセリフではないか! 
 茜さす朝の訪れは誰の心にも希望を抱かせる。
 
 「人生不可解」藤村操青年は煩悶するけれど、まさにその通り!人生は不可解なものだ。
 だからこそ生を全うし、死ぬまで煩悶し解き明かしてほしいとおもう。
 夜のとばりが明けるとそこには「茜色の朝が、丘の露を踏みしめてやってくる」のだから。
 若さ特有の人生の煩悶だったのだろう。

ここで同世代の現代の高校生の俳句を見てみよう。
(「17音の青春」所収。新折々のうた7 大岡信著 岩波新書865より)

折々のうた (7) (岩波新書 新赤版 (865))
大岡 信
岩波書店

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・蝉は持つ小さな小さな砂時計  (富松宏明 大阪・吹田東高校)

 同じような年代の少年の句である。
 蝉がもつ、たった一夏の命。さらさらと命の砂時計は落ちていく。精一杯の命を謳歌するようにになく蝉。そのはかない蝉の命にもの想う少年の目が感じられる句である。
 昨今、つらいいじめにあって自ら命を絶ってしまう子供達の心を思う。
 命を見つめるまなざしに、人生を憂う気持ちに差はあるのだろうか?