いつも散歩に出かける公園には早くも紅梅が咲き始めた。
梅は桜のようにはなやかではない。けれどその気品に満ちた風情と馥郁(ふくいく)とした香りがあたりを静謐にする。
梅といえば江戸の俳人宝井其角の句にこんなのがある。
・梅が香や隣は荻生惣右衛門
其角は日本橋茅場町で荻生惣衛門(おぎゅうそうえもん)こと荻生徂徠(おぎゅうそらい)と隣合わせに住んでいたことがあった。荻生徂徠といえば柳澤吉保に仕え、あの赤穂浪士を処罰すべきかどうかのとき、「法というものがあるかぎり、社会の安寧のためにも、それをまげてはならない」と主張した儒学者である。
この句はこの騒動が起きるずっと前の句である。
この有名人の隣に住んでいた其角は「どうだ!有名人の隣に住んでいるんだぜ」と思って詠んだのかどうかしらないけれど、なんとなくそんな雰囲気がある。
ちなみに漱石の句にこんな句がある。
・徂徠其角並んで住めり梅の花
というのがある。(半藤一利著「其角俳句と江戸の春」より)
寒さが残るなか、昔の人はこうもうたっている。
・梅一輪 一輪ほどのあたたかさ
芭蕉の句、
・梅が香に 追ひもどさるる 寒さかな
こうして春は三寒四温をくりかえしながら花に暦を教えるようにやってくる。
そう言えば梅の異名を知っている人は少ないのではなかろうか。
梅の異名を「好文木」と言う。
この言葉はその昔、中国の皇帝が 『文を好めば梅開き、学を廃すれば 梅閉づる』と云ったことからつけられた。
茶の道ではこの季節、梅の透かし模様のある棚を出してお茶を点てる。その名も「好文棚」と言う。
釜からしゅんしゅんと湯がたぎる音(松風と呼ばれる)を聞きながら一服の茶を嗜(たしな)むとき、俗世界をすっかり忘れ、自分さえも忘れる瞬間だ。
茶室にわずかに差し込む日の光が梅の透かし模様に陰をつくり、赤のすり漆が鈍い光沢を放つ。
つくばいの根方に植えてある我が家の紅梅はまだ咲いていない。
春はまだだろうか・・・
日溜まりにたゆたう午後が静かに過ぎようとしている・・・