飛翔

日々の随想です

君に書かずにはいられない

君に書かずにはいられない―ひとりの女性に届いた四〇〇通の恋文

君に書かずにはいられない―ひとりの女性に届いた四〇〇通の恋文

誰も生涯で一度は恋文を書いたことがあるだろう。
あるいは生涯を決するような恋文をもらったことがあるかもしれない。

大正十五年。十六歳。東京高等学校二年生の秀雄はこんな日記を書いた。
『人間界から愛を引き抜いたら、なにが残る?いかに金があり、名誉があっても、愛の欠けた家庭は、家庭とはいわれぬ。愛とは全部でなければならぬ。最後まで普遍妥当性を有するものでなければならぬ。愛し、愛され、これほど幸福なことが世にあろうか。そうだ、愛するのだ愛するのだ。なんだか急に生きる喜びを痛切に感じたような気がする』

このときの気持ちを生涯持ち続けて、一人の女性と出逢い、愛し、愛を貫きとおした愛の軌跡をたどったのが本書である。

東大生の秀雄は十七歳の少女に恋をした。
その少女から手紙の返事をもらった秀雄は狂喜乱舞してこう手紙を書いた。
『僕の喜びを想像してください。僕の感謝を受けてください。万歳!』『僕は君に書かずにはいられない。書いているうちも、清い美しい君の姿に直接呼びかけているつもりです。春枝氏よ、わが導きの星よ、君の純な笑顔を僕に振り向けてください。僕にとっての全生命、全世界は君一人なんです。たった一人なんです』

恋する喜びにあふれ、胸のときめきまで聞こえてくるようだ。
ほとばしる熱情、恋情を送り続けたその数は四百通。

恋文を書いたのは当時東大サッカー部のキャプテン、極東オリンピック開始以来、初めて中国と同位優勝を勝ち取った立役者である篠島秀雄である。
篠島秀雄は「日本の労使問題の最高峰の一人」といわれ、後に日経連副会長になった財界の重鎮であり、サミュエル・ウルマンの詩『青春』を世に広めた人でもある。

人は恋をすると詩人になるという。昨日までペンを持ったこともないものが、身を焦がし恋文にわが想いをたくす。ここまでは誰もが経験することだろう。しかし、この恋が深い愛となり終生変わらずに愛し、愛されて全うするカップルはそう多くはない。

巷では金で買えないものはないとうそぶくものがおり、ヴァレンタインの日には我も我もとチョコレートを買いあさり、挙句の果ては「義理チョコ」がまかり通るのはなんとも滑稽である。

恋のときめきを、喜びを、溢れる恋情をふみに託すのはこの本のタイトルになっているように『君に書かずにはいられない』からに違いない。

春枝と篠島は結ばれるまでの三年間、大学生という身分ゆえ、また遠距離恋愛だったため親に反対されていた。つまり「ふみ」だけが二人を結びつける絆だった。その数四百通。
東大卒業後、晴れて結婚した二人。

財界人として珍しいぐらいに潔癖な篠島は妻が持参金として持っていた株について「株をすると金に汚くなるから気をつけろ」と言った。
労使関係の部下は篠島をこう評する:
『あたかも雪のように純潔で清浄な人であった。しかし、けっして雪のように冷たい人ではなかった。心の奥底にはいつも人間尊重の理念に根ざした愛情が秘められていた』と回想する。

晩年病気で八ヶ月の入院生活をし、昭和五十年二月十一日建国記念日篠島秀雄は逝った。六十五歳だった。
現在九十二歳の春枝は夫の遺骨を枕元に置き、毎日かかさず四百通の恋文を読んで寝る。
『手紙を読んでいると、話しているような気になるのです』

『愛とは最後まで普遍妥当性を有するものでなければならぬ。愛し、愛され、これほど幸福なことが世にあろうか』
生涯にわたってこの魂で春枝を愛し、愛され、全身全霊で愛を貫いた二人。