飛翔

日々の随想です

野呂邦暢著『古い革張椅子』から


そして野呂邦暢の随筆『古い革張椅子』(集英社)。
野呂邦暢のエッセイは淡々と無駄のない言葉が紡がれていて水彩画のような趣がある。飄々とした書き味はモノクロームな映像を見るようだ。
 「書出し」という題のエッセイ:

文章には初めと終りがある。当たり前の話である。小説にも初めと終りがある。これもしごく当然である。書出しと結末と言いかえることができる。そして問題はこの書出しなのだ。ここで苦労する小説家は多い。
 林芙美子は自分の気に入った書出しを見つけるために原稿用紙を五十枚は書くつぶしたという。

以下省略。
他人はさておき私についていえば、書出しはこうでなければという一種の好みがある。最初の一行はなるべく短い文章で切る。それも平明な言葉で終始したい。子供に読んで聞かせてもわかるような字句ばかりを選びたい。その言葉も、明暗、上下、軽重のイメージを持つものであれば、暗さより明るさを下がるものより上がるものを重いものより軽いものをとりたい。

 と単純明快であるが、うなってしまう言葉である。