飛翔

日々の随想です

聞いて楽しむ百人一首


 
子どものころの楽しみといえば、家族で百人一首のカルタとりだった。
 私の得意なカルタをひざのそばにおいて今か今かと待ち構えてついに読まれた!とたんに、父がとってしまって大泣きしたことがあった。
 大泣きしているそばで母が父に「お父様ったら!ろこが取る札を、おとりになって!大人気ないじゃありませんか!」となじるので、私は余計に惨めになって大泣きしたのだった。
 姉は「ろこちゃんはいつも取れないと泣くんだから!」となじるので今度は兄弟喧嘩に発展!さんざんなお正月になる。
 そんな百人一首の本が出た。
 それもタイトルが『聞いて楽しむ百人一首兼築信行著(創元社

聞いて楽しむ百人一首 (CDブック 聞き読み教養ライブラリー)

聞いて楽しむ百人一首 (CDブック 聞き読み教養ライブラリー)

 つまりCD付なのである。
 皇居で毎年歌会始が行われるが、そのとき古式にのっとって朗詠される。
 それを「和歌披講(ひこう)」と言う。旋律をつけて詠われる。
 その旋律をつけて詠われているCDを聴きながら百人一首を楽しむ本というわけだ。
歌会では懐紙あるいは短冊にしたためられた和歌を読み上げ旋律をつけてうたいあげた。これが「和歌披講」である。
披講を行うには、読師(どくじ)、講師(こうじ)、発声、講頌(こうしょう)の四役があり、読師は短冊を取りさばいて歌会を進行する。講師は節をつけずに読み上げるが、句ごとに切り、句の末を長く長く延ばすのが特徴。発声と講頌は旋律をつけて歌う役。発声は講師の読み上げを阿吽(あうん)の呼吸で受け、発句を独唱する。講頌は「付け所」と呼ばれる第二句から発声にあわせて合唱する。
(『聞いて楽しむ百人一首兼築信行著(創元社)からの引用抜粋)

歌会始などで聞く和歌披講しか聴いたことがないが、和歌は韻律を楽しむものでもあると気がつくのであった。文字で知る百人一首と聞く百人一首とでは別の趣があると思った。