飛翔

日々の随想です

ブログは誰のもの?

私がいつもブログで書くときは「〜だ。〜だと思う」にしている。
 「ですます」調ではない。
 「〜です。〜ます」
 と書くと私でないような気がして居心地が悪い。
 そのせいだろうか、コメントがまったくない。
 ある人が「語調が強いので、他の人はひいてしまうのではないでしょうか」
 と助言してくれた。
 アジテーションのような文を書くときがある。
 それは現政権についての私個人の意見を「みんなもそうしましょうよ」。
 と呼びかける。つまりアジテートしている文について指摘された。
 毎日読んでいますとか、ファンですとか、言いながら決してコメントを書かない。
 そういう人に尋ねると内容が高尚すぎてコメントが書けないとか、下手なことを書くと自分の愚かさを指摘されそうだからだという。

 さらに、もうちょっとくだけた芸能ニュースや、井戸端会議的なことを書くとコメントしやすいという。

 そんな馬鹿な!ではブログは誰のものなのか?と問いたい。
 最大公約数的な、誰もがわかる話題を書くなら、それは私がわざわざ書かなくてもよい
 私が私のブログを書くのだから話題や書くネタは私のものだろう。
 では私は誰に向かって何を書いているのか?
 そう問われると答えられない。
 私がその日、書きたいことだけを書いているからだ。
 誰か特定の人に向けて書いていない。
 自己満足日記である。
 
 誰かに迎合して書くなら、書かないほうが良い。
 「語調が強いので他の人はひいてしまうのではないでしょうか?」
 と善意に書いてくださったことはありがたいことだ。
 でも語調が強いか弱いかは読む人による。
 ある人は「きっぱりと気持ちが良い文だ」と言ってくれるからだ。
 ブログはブログ主が管理者であり責任者であり中心執筆者なのだ。
 これを
 今日はお日和がお暑うございましたわね。
 皆様いかがあそばしますか?
 わたくしは、今日は美容院へ行ってまいりましたのよ。
 綺麗にカットしていただきましたの。

 
 ガサツな私でも書こうと思えばこんな風にいくらでも書ける。
 でも書かない。
 なぜなら、そんな文体は私ではないから。
 
 いったいブログは誰のものなのか?