飛翔

日々の随想です

朗読劇「街角の童話」を観て

今日は朗読劇「街角の童話」を観に行ってきた。

 「朗読劇」とは聞きなれないかもしれないけれど、劇中の人物が物語の進行と劇中の会話をおこなうものだ。
 早い話が、見る「ラジオドラマ」のようなもの。
 音響効果は舞台裏から聞こえる雷鳴や、風の都や雨の音などであるけれど、今日は生のフィドル{ヴァイオリン」演奏が入って素晴らしい効果を上げていた。

 主催者は劇団「アトリエ あうん」である。
 名古屋でも知られた劇団である。構成と演出は麻創けい子。脚本は麻創けい子のシナリオ教室の生徒たち4名。

 四人のシナリオ・ライターたちの書き下ろし作品であるが、これが全て力作ぞろいでびっくりした。

 はじめの作品「かなりや」作 大谷えり子
 画家をめざして頑張ってきた男が結婚して身重の妻とこれから生まれてくる子供のために「セールスマン」をはじめる。
 成果主義のリフォーム会社の仕事は画家を目指していた男にはきつすぎる。
 伏線はピエロと胎児の時、母を捨てて出て行った今は亡き父親。

 フィドルが奏でる「歌を忘れたカナリヤ」がこのドラマの通奏低音となって時には暗示を与え、最後はドラマティックに主題を提示する、にくい役割をしている。
 現実生活は「夢」の実現を薄くしてしまうものだ。時には夢なんかと捨て鉢になる。夢の実現を叶えるものはほんのわずかな者たちのような気がする。しかし、このドラマでは「夢」というのは、遠いところにあるものでもなく、背伸びして獲得するものでもなく、日々その夢を育てていく自分にあることじゃないかと思わせてくれた。「歌を忘れたカナリヤ」の名曲が物悲しくもそれを気づかせてくれる、伏線であり、メインテーマでもあった。

  歌を忘れたカナリア象牙の舟に銀のかい
  月夜の海に浮かべれば 忘れた歌を思い出す 

  難を言えば、ピエロの後半が話の筋を混乱させる。それ以外は音響効果のフィドルが重要な役割を演じさせ、最大の効果を上げていたのが素晴らしい。 
  
 二作目「まるい空の向こう」作 加藤紀子

  山奥に住まわざるを得なくなった一家の謎めいた日々に妹が訪ねてくる。
  姉妹とも海に関わる名前「渚、岬」
  南部鉄器でできた風鈴は亡き母の生地である岩手のもの。
  その風鈴が伏線であり、いい効果をあげている。
  
  山の生活にすっかりなじんだ姉と、山の生活に見切りをつけた妹の都会の臭いが不協和音を奏でる。
  今は亡き岩手生まれの母を嫌う妹と、歳の離れた姉との会話が物語に陰影を与え、聞くものを誘い込む。

  最後のオチに始めてこの物語のメインテーマが明かされ、すべてを悟るのは聞き手であった。
  2050年の話のオチにハッと胸を衝かれた。
  盛り上がりのない筋に聞き手はだまされ、最後に頭をガツンと殴られたような余韻を与えるドラマだった。

  休憩が入り三作目
  「店番小僧」 作 佐藤和恵

  下駄屋の店番をする小僧のもとへ男を相手の商売をする女が下駄を買いに来る。
  好きな男であるカメラマンが自分を撮影するというので、海へやってきて、下駄を流されたとのこと。

  14歳という多感な店番小僧にとって女は血が耳まで上がってしまうほどの何かを感じさせる。
  安っぽい下駄を買い、男と女は出ていこうとするが、日はとっぷりと暮れようとしている。
  夜買ったばかりの下駄を下ろすと不吉なことが起きるという。
  下駄裏にオマジナイをして厄を落とそうとする店番小僧。
  カメラマンと女。小僧と女。写真館のおばさん。赤いカンナの花。

  語り手の言葉が流れるように筋を拾っていく。
  言葉のすみずみまで文学的な香りがして、完成度が高く、「闇にかかげた女の手が空に突き刺さるようだった」
  というラストシーンはあざといまでに印象に残るものだった。

  短いストーリーなのに、一番聞き手をのめり込ませた作品だったような気がする。
  あえて難を言うなら、カメラマンの男のスケッチをもっとどうにかして欲しい気がした。
  女が惚れるだけのものを刻んでほしい。

  最後の作品。
  「バス停」作 河東りりぃ

   バス停のベンチにいつも座っているおじいさんとOL。
   日常にありそうな現代の世相を描きつつ、少しの風刺、薄れてしまいがちな人情の機微を織り交ぜた
   素直な作品で真っ直ぐに心に届く作品だった。

   「事実は小説よりも奇なり」と言うが、「日常こそがドラマだ」と思い起こさせてくれた作品だった。
   余韻が心地よいドラマというのは、聞き手の心を温めてくれる。どこにでもある風景を切り取って
   ドラマにする手腕を買いたい。とても勉強になる作品だった。つまり前述したように
   「日常こそがドラマだ」を学ばせてもらった。


 朗読劇というのは素朴でありながら、聞き手の想像の翼を広げさせてくれる。
 素朴な手法であるだけに、構成と演出は並大抵のものではないと思う。
 朗読というのは単に読めば良いというものでなく、演技過剰でもいけない。間というものをひとたび間違えると
 劇を台無しにしてしまう。
 先ずはシナリオライターの方々に盛大な拍手を送りたい。
 そして語り手に負うところ大であるこの朗読劇。出演者の力量に拍手。
  
 地味ではあるけれど、朗読劇のすばらしさをもっと多くの人にわかって楽しんでもらいたいと思う。
 大変楽しい2時間をありがとう!
チラシはこちら↓
街角の童話