飛翔

日々の随想です

「情報リテラシー」と「メディアのあり方」について


従軍慰安婦問題」、「吉田調書」について朝日新聞誤報をした。
 朝日新聞の社長は国民の非難の声にやっと謝罪をした。
 これは公に広がる新聞というメディアの罪の大きさが問題であるが、
これを読む読者の情報選別能力と批判の力、精査の力、 が大きく関わる問題でもある。

 大手の新聞が発信したものだからと丸呑みし、そのまま消化してしまった情報選別能力と精査能力が問われる問題でもある。

  つまり情報リテラシーの問題である。


  情報リテラシーとは、「情報活用能力」や「情報活用力」、「情報を使いこなす力」である。
  つまり、情報リテラシーとは、情報を主体的に選択、収集、活用、編集、発信する能力と同時に、
  情報機器を使って論理的に考える能力が含まれている。"

  
  アメリカ図書館協会が1989年に発表した最終報告書は、
  情報が必要とされるときに情報を"効果的"にそして"効率的"に(1)探し出し、 
  (2)精査し、そして(3)使うことができる能力を保持する人のことを情報リテラシー能力を保持している人と定義する。

  あふれる情報の海の中、どれを選択し、いかにそれを正しく精査し、活用するかが情報社会では必要となる。
 
  新聞一紙だけの情報を鵜呑みにする時代ではないのだ。
  またテレビが垂れ流す情報に左右されてはいけないことでもある。

  stap問題がその例としてあげられる。
  科学に精通していないメデイアが女性科学者の割烹着やファッションにクローズアップした途端、
 次の日から割烹着が売れ始め、もうすでに時代遅れになったブランドが注目され週刊誌がこれに追随した。

  次はインターネットの発達で、次々とstap細胞の中身が解析され、画像が改ざんされ、不正があったことが暴かれ始めた。
 するとどうだろう、あんなにもてはやしたメデイアが今度は手に平を返したように袋叩きを始めた。

  情報リテラシーが低い現れなのだろうか。
 ある人は情報に流され、左といえば左を向き、右といえば右に流される。
 これは恐ろしいことだ。
 
 一方、特定秘密保護法が制定されようとしている。
 あふれるばかりの情報がある一方、情報が規制されるおそれも出てきた。

 右といえば右へ走る国民が、一方通行の政府からの情報だけを鵜呑みにするようになったらどうなるのだろうか?
 つまりかつての「大本営発令」のようにでっち上げた情報で動かされるようになったら結末は見えている。

  情報が必要とされるときに情報を"効果的"にそして"効率的"に(1)探し出し、 
  (2)精査し、そして(3)使うことができる情報リテラシー能力がいかに必要とされているかが理解できよう。

 私たちが適切な情報リテラシーを持つのと同時に、メディアが正しい情報を正しく適切に伝えるという本来の機能を
 発揮することが何よりも今の日本に問われている問題ではないかと思う。