起床時間になって夫をおこそうとして顔を見た。
寝顔があまりにも子どものようだったのでしばらくながめていた。
布団からでた手がバンザイをしているようだった。
仕事がきつくて「もう僕お手上げです」とでも言っているのだろうか?
それともなにか良い夢でもみて嬉しくてバンザイをしているのだろうか?
『短歌』に「吹いてくる風」と題した小池光さんの文があった。その中で現代歌人協会賞を受賞した本田稜さんの次のような歌が目をひいた。
日曜の夜中にぼそり「大きくなるほどに寝顔が汚れる」と妻
「寝顔は無垢(むく)」である。
無防備に寝入っている顔は人の心のリトマス試験紙かもしれない?
もしかしたら、人は寝ている間に「よごれちまった心」を浄化する濾過装置が働いているのかもしれない。
浄化しきれないうちに目覚める人や、いくらか澄んだ心になって朝を迎える人や、堆積した汚れでろ過しきれない心もあるだろう。
小池光さんは本田稜さんの一首に(「なんともいえずコワイ。「ぼそり」がなおさらこわい。父親の引きつる顔がみえるようである。)と書いてあった。
確かに「日曜の夜中にぼそり」と「大きくなるほどに寝顔が汚れる」などと突然、言い出されたら引きつりそうだ。
背中がぞぞぞぞとする。
心の中をのぞかれたようで思わず自分の顔を撫でて確かめそうになる。
そんな日常の「ぼそり」を歌にする「ぼそり」感がすごいと思った。歌人というものの感性をみた。
歌心のない私は夫に「あなたって寝顔が子どもみたいで可愛い」などと「ぼそり」とほざくのみであった。