飛翔

日々の随想です

いそがなくたっていいんだよ


先日山登りが好きな男の人と会食をした。
今度連れて行ってくださいと言うと、その人は自分の山行きは人と違って頂上を目指す山登りではないといった。
体力がここまでと思ったり、景色がよいと思ったところで休憩し、持参した食材で料理をし、雄大な山の景色をおかずにするのだそうだ。鳥の声を聞き、昼寝をして山頂を目指すこともあれば、そこで引き返すこともあるとか。
山頂をめざして一目散に駆け上がり、また次の山頂をめざすばかりが山登りでなく、人生でもない。ふとそんなことをおもった。

いそがなくてもいいんだよ
岸田 衿子
童話屋

岸田衿子さんの詩集「いそがなくてもいいんだよ」(童話屋)にこんな詩がある。

南の絵本

いそがなくたっていいんだよ
オリイブ畑の一ぽん一ぽんの
オリイブの木が そう云っている
汽車に乗りおくれたら 
ジプシイの横穴に 眠ってもいい
兎にも 馬にもなれなかったので
ろばは村に残って 荷物をはこんでいる
ゆっくり歩いて行けば
明日には間に合わなくても
来世の村に辿りつくだろう
葉書を出し忘れたら 歩いて届けてもいい
走っても 走っても オリイブ畑は
つきないのだから
いそがなくてもいいんだよ
種まく人のあるく速度で
あるいてゆけばいい

「ゆっくり歩いて行けば/明日には間に合わなくても/来世の村に辿りつくだろう」とそのあゆみは時空を超えてしまうスケール。
 この悠然としたおおらかさはどうだろう!この広がりは「種まく人のあるく速度であるいてゆけばいい」に集約されている。ただ悠然と歩むのでなく、目的を持って歩み続け来世までも突き抜けてゆく。何と素晴らしい歩みであろうか。
 詩集「いそがなくてもいいんだよ」の著者 岸田衿子さんは子供時代から行き来していた浅間山麓の森の奥に住み、芸大の油絵科入学以来スケッチブックに「言葉のデッサン」を描いてきたと「あとがき」にはある。
 音楽にも「色」が見える曲もあれば、絵画の中に「音」が聞こえてくるものもある。
衿子さんの詩には野原いっぱいに広がる「色」が見え、風のそよぎ、木の実のはぜる「音」が聞こえ、描く風には「色」さえも見えてくる。