飛翔

日々の随想です

お雛様と母の愛


我が家には木目込み人形のお雛様がある。
 よその家の豪華なお雛様と違って、母の手作りのお雛様だ。
 病弱な母が四十歳のとき、高齢出産の危険をかえりみずに産んだのが私だった。母は私がお腹にいた頃こう思ったそうだ。
 「お腹の子が女の子だったら自分の手でお雛様を作ってあげたい」
 産まれたのは女の子だった。それからというもの、母は育児の合間に、コツコツと木目込み人形のお雛様を作った。何年もかかってしまったが、母の愛情がこもったお雛様はついに完成した。以後、毎年そのお雛様は飾られ、なごやかに雛の節句をお祝いしてきた。
 病弱だった母は自分がいくつまで生きられるだろうかと心配ばかりしていた。
 私が小学五年生だったある日、母は登校前の私を捕まえて、突然、顔にお化粧をして口紅を塗った。気持ち悪がって抵抗する私の顔をつくづくみて
 「きっと大きくなったら綺麗な娘になるわ」
 と言った。意味が分からない私は顔をプルルンと洗って学校へ急いだ。
 母は私が成人するまで生きていることができないと思ったのだろう。まだ小学生の私にお化粧をほどこして成人した姿を想像したのだ。
 母のこの奇妙な行動と手作り雛には、深い理由が隠されていた。
 母は自分が長生きできないことを覚悟して、自分の身代わりとなって娘を守ってくれるように心を込めてお雛様を作ったのだ。
 私は苦しい場面に遭遇するたび、母の手作り雛を思い出して気持ちを立て直してきた。
 お雛様のご加護のおかげか、母の丹精のおかげか、私は大病もせず成人し結婚した。
母は、といえば、何としても生きなければの執念と医療の進歩のおかげで八十歳の天寿を全うした。
 母を彼岸へ見送ってまもないある日、私は入浴中に、くも膜下出血になり、救急車で運ばれ大手術を受けた。
 後遺症もなく退院した翌年のひな祭りの時だった。お雛様を箱から出して驚いた。
 お雛様が頭から真二つに裂けていた。引越しを四回繰り返しても、どこも傷みもせず綺麗なお雛様だったのに。
 お雛様は災いを代わりに受けてくださると言われているが、まさにその通りのことが起きた。偶然といえば、あまりにも偶然のことだった。
身代わりになってくださったお雛様を、母が縫ったお雛様の座布団に乗せて川に流すことにした。
 母の愛はお雛様に託され、終生私を支え、命まで救ってくれたのだった。