飛翔

日々の随想です

懐石料理教室顛末記


 お茶の稽古の中でもお正月の初釜は特別である。若いお弟子さんもベテランも晴れ着を着て初釜のお茶事を楽しむ。
 しかし、裏方にまわる弟子たちは前日より先生のお宅に泊まり込みで懐石料理の下ごしらえ、準備に追われる。 
先生はとっておきの楽茶碗をだし、床の間には正月だけにもちいられる縁起物の香合をだす。床の間には、上から柳の枝を一結びにして床まで垂らすいわゆる「結び柳」を活ける。つくばいには檜(ひのき)の手桶を用意し、水音高く上から水を満たして客につくばいの用意ができたことを知らせる。あれもこれも準備万端整えることが多く、温厚な先生もさすがに殺気立つ。
 台所で懐石料理の手助けをする者達は魚の焼き方や盛りつけ方、切り方に先生からお小言を頂戴する。
 そんな年中行事に叱られないよう、いつでもスタンバイできるように、私は懐石料理教室に通うことにした。
 新婚早々だった私は、フリルのついたブランド物のエプロンをして懐石料理教室を入ったとたんに目が点になった。生徒はお年を召した方ばかり。どうやらお茶の先生ばかりが習いにいらっしゃっているようだった。 
(ここは私のような包丁もろくに持ったことのない者のくるところではなさそうだ)
 と思った時はすでに遅かった。ぞろりとおばあちゃん先生に取り囲まれてしまった。おまけに男の人もいるではないか。この男の人たちはどんな人かしら、と思ったらこれまた驚いた。懐石料理屋の板さんが新幹線に乗ってこの教室に通っているという。これはプロの集団ばかりのようだ。
 先生は京都の瓢亭で修行した人で、何が何ccなどと言わない。
 「魚は末広に串を打って」
 と言ってまたたくまに扇型に串を刺し、お刺身の柵とりもあざやか、ハモの骨切りなんぞはサクサクと小気味よい音を立てて切っていく。先生の模範が済むといよいよ各自テーブルにつき料理開始。
 4人一組。私以外の3人はベテラン。何も指示しないのに、あっというまに各自お刺身を切る者、魚を焼くもの、天ぷらをあげるものと手際よく進んでいく。私はというと呆然と立っているだけである。これではしかたがないので洗い方にまわることにした。
 ボールに何やら小汚い色の水が入っていたので流しに捨ててボールを洗い、水気を切っていると、
 「あれ?ここにあったボール知らない?」
 と聞かれた。
 「あ、あれ?汚いから洗っておきました」
 にこにこと答える私。
 「えーあれはだし汁だったのよ!」
 「わ!知りませんでした!ごめんなさい」
 「仕方がないわ。またおだしを作り直すからハッチで昆布と鰹節を貰ってきて下さい」
 と言われてすごすごとハッチへ向かった私。
 「あのー。昆布と鰹節下さい」
 「え?各テーブルに配ったはずよ」
 「あのー。おだしを捨てちゃったんです」
 絶句するハッチの中の人達。
 やっとだし汁をつくって一品完了。
 次ぎに三杯酢の準備だ。私は名誉挽回とばかりにハッチへ一目散に行って叫んだ。
 「あのー。三杯酢下さい」
 「え?」
 「あのー。三杯酢下さい」
 「あのねー。あなたねー。三杯酢は自分で作るのよ」
 「あらやだ!三杯酢ってものがあるんじゃないんですか?」
 「やだー。あなた冗談ばかり言わないでよ」
 赤恥をかいて、すごすごとテーブルに戻ろうとするとハッチからまた、声がかかった。
 「あなた!ところで三杯酢の作り方、知っているの?」
 「あ!知りません」
 もうハッチの中は爆笑の渦になった!
 こうして新婚早々、包丁も持ったことがない私がプロに混じって赤面ものの年月が過ぎていった。
 しかし、世の中の人はやさしい人が多い。どうしたことか先生やハッチの助手さん達に可愛がってもらった。何より嬉しかったのは同じテーブルの仲間である。
 「絶対に休んじゃダメよ。貴方がいないとテーブルがさみしくなるんだから」
 と励まされてほとんど休まなかった私だった。
 それから年が何回も回ってメニューが毎年同じようになってきた。テーブルの仲間はもうやめるわと言ってどんどんやめてしまった。
六年目のある日。テーブルに一人のおばあさんが新入会してきた。おばあさんはお茶の先生だとか。慣れないせいか料理はせずに洗い方ばかりしている。
「あれ?ここにあったボール知りませんか?」と尋ねる私。
「あれ?汚い水が入っていましたので捨てました」
とおばあさん。
「歴史は繰り返す」は、けだし名言である。
 翌年、私は懐石料理教室を自主卒業した。
 せっかく習った懐石料理の腕を振るわない手はないと、正月に親戚一同に表千家伝来の正月料理をつくってもてなした。
 並み居る親戚一同の中の一人、小学生の姪っ子が食べた瞬間こういった。
 「口にあわない」
 お膳をひっくり返してやろうかと思ったが、そこは茶の湯の心を持つしとやかな私のこと。にこやかに、しかしすみやかに、姪っ子のお膳を下げたのは言うまでもない。
 こうして私の懐石料理は文字通り懐に石のように重い痛手を抱いた料理となったのである。
 教訓。家庭ではいつもの家庭料理が一番。