飛翔

日々の随想です

灯(ともしび)


涼しくなって寝苦しい夜がなくなった。
 虫の音とともに休むことができる夜ほど秋を感じることはない。と言っても、朝になるとまだつくつく法師が鳴いているのだから、秋のとば口は面白い。
 涼しくなったので、朝晩、散歩をするのが日課になった。40分ほどの散歩は心地よい。毎日近所の犬のぽちに会えるのが嬉しい。彼は通りにかろうじて鼻先だけ見える位置で私を待っていてくれる。遠くからでも黒い鼻先が私を待っているのが見える。
 やっと鼻だけでなくお互いの姿が見えるところまで来ると気も狂わんばかりに喜んでしっぽを振りとびついてくる。
 散歩が目的でなく、このポチに会いあたくて散歩しているようなものだ。名前を知らないのでブログでは「ポチ」としているけれど、我が家では「ぼうずっくり」と呼んでいる。人間でいうならくりくり坊主頭のやんちゃな男の子といったところだろうか。
 もっとも、今の世の中、なかなか坊主頭の男の子にはおめにかかれない。
 女性のえりあしは美しいが、少年の短く刈られた襟元は清潔な美しさがある。少年だけが持つ清潔な美である。

 塾の教師をしていたころ、そんな男の子がいた。おとなしいけれど成績がよく学年で一番になった。
 風のうわさでは父親が酒乱で暴れると、長男の彼が母や弟の盾となっていたとか。
 その子が卒業し、県内でも優秀な県立高校へ入った。東京の大学へ一浪して入ったが、浪人時代にはがきをくれた。その返事を出すと、また再度長い手紙が来た。その手紙には「塾は僕のたった一つの灯(ともしび)だった」と書いてあった。
 いろいろな生徒が入ってきて卒業していくが、「塾は僕のたった一つの灯だった」と言ったのは彼だけだった。
 学校は休んでも塾だけは休まない生徒が多かった。始まる一時間も前から来ている者もいて、先生である私も生きがいを感じて教えていた時代だ。天職かと思うほど打ち込んだ。肌に食い込んできそうな生徒の反応は打てば響くものがあった。
 塾が終わって自転車に乗りながら今日習った英語のフレーズを口づさみながら帰っていく生徒の声がドアの向こうからきこえて来ると、思わず涙ぐんでしまいそうになった。
 学ぶ喜びに輝く生徒の顔はみんな生き生きとして可愛かった。
 私の教師としての最高の言葉はやはり「塾は僕のたった一つの灯だった」の一語に尽きるだろう。