飛翔

日々の随想です

中学生の職業体験と政治家


今日は朝から植木屋さんが剪定にやってきた。総勢4人。
 「おはようございます!」
 明るく大きな声に振り返ると男の子だ。短パンに名札がついた半袖姿。
 「あら、やけに若いわねえ」
 というと親方が
 「この子は職業体験に応募してきた子だ」
 といった。なるほど、若いわけだ。中学二年生だとか。
 年寄りの職人と、お茶の時間にノートに木の種類を書き込む若い職人。親方、中学生の総勢4人だ。
 「親方〜ぁ、次に何したらいいですか?」
 の声に、日頃怖い親方は親切に答える姿がほほえましい。「はい」と答えるきびきびした姿が活気を与える。短パンから出た足に蚊が容赦なく襲う。植木の仕事がどんなに厳しいかまだ知らない少年。そんな中、親方が蜂に刺された。数週間前に、消毒薬で退治したはずなのに強い蜂だ。親方は職業柄何回も刺されている。そのたびに重症になっていく。それでも平気な様子だ。
 そんな姿を見てこの少年がどんな感慨をもつのだろうか。仕事というのは泣き言を言えないものだと分かっただろうか。中学生の職業体験は貴重な体験だ。将来の少年少女の職業や社会に対する目を養う。厳しさに根をあげるかもしれない。それで退散するようではまだまだひよっこだ。厳しさの中から何かをつかんでくれれば、それは進歩につながる。労働と報酬。社会と自分とのつながりを肌で感じとる貴重な体験である。
 「木を一本きればいいってもんじゃないぞ!」
 親方の厳しい声が少年にふりそそぐ。そうそう。優しく対応するだけが職業体験じゃない。厳しさも教えねば。今の世の中、子供を甘やかすことが多い。厳しさに耐えられず、すぐ反抗して口答えする若者をしかりつける雷親父が少なくなった。
 みんな友達のような親像にあこがれて「地震・雷・火事・おやじ」の言葉は死語になった。
 しかるにはそれなりに、しかる側の態度も問われる。「子は親の背中を見て育つ」という言葉がある。
 親になるというのは背中を見せるだけのものをもつ責任がある。社会もそうである。世の中も将来をになう子供たちに見せるべき何かがなければならない。
 勉強ばかりできて、弱い人の心に添えない頭でっかちの大人はごまんといる。
 福島の避難民たちの心に添えない政治家よ!あなたは子供たちに、国民にあなたの背中がどう映っているか知っていますか?
 部下のてがらを横取りし、保身ばかり考える愚かな人よ!あなたの名前は?

 *p1*[日記]夏の涼 三題
 「蝉しぐれ」と聞くと藤沢周平の小説を思い出す。清流と木立にかこまれた城下組屋敷。普請組跡とり牧文四郎は剣の修業に余念ない。淡い恋、友情、そして非運と忍苦。苛烈な運命に翻弄されつつ成長してゆく少年藩士の姿が目の中に浮かぶ。
 しかし、今の私には「蝉しぐれ」と聞くと頭の上から蝉の声が滝のように降り注いでくる「音の洪水」でしかない。庭の一角にそそりたつケヤキの太い幹にはびっしりと蝉がしがみついている。そして枝から枝へと蝉が飛びかい、時には網戸にまでしがみつぃて鳴いている者もいる。我が家の庭はこの蝉にのっとられ、今や音の洪水である。
 この蝉の声を聴いているとじりじりとフライパンの上で焼かれているような熱を感じる。
 そこでせめてもの涼をもとめてかき氷を食すことにした。

 夏はやはりこれに限る。
 

 風鈴のたえなる音色が一幅の涼。


 そして夜はこんなふうに涼風(すずかぜ)に吹かれてひと夏の恋のほてりをさます・・・な〜んてことがあったらいいなあ。

  涼しさや袂(たもと)にあまる貝のから (一琴)