飛翔

日々の随想です

寂光院(犬山)とマダム貞奴の貞照寺

 今日は朝早く起きて名古屋の熱田神宮へ祈願しに出かけた。
 熱田神宮は由緒ある神宮で三種の神器の一つである草薙剣(くさなぎのつるぎ。天叢雲剣)を神体としている。剣は壇ノ浦の戦いで遺失したとも神宮に保管されたままとも言われている。
相殿に天照大神(あまてらすおおみかみ)、素盞嗚尊(すさのおのみこと)、日本武尊(やまとたけるのみこと)、宮簀媛命(みやすひめのみこと)、建稲種命(たけいなだねのみこと)を祀る。
信心深くない私だが、熱田様だけは信じている。父がガンになった時、一心に祈念したら「奇跡」と医者らしくない言葉を発せられて快癒したのだった。また私が乳がんと宣告され、入院手続きをし終えて熱田様におまいりしたあと、がんセンターで最終チェックをしたら誤診とわかり、入院手続きをキャンセルしたという顛末があった。

 今日はこの熱田様に知人の病気快癒を祈りに行った。ただひたすら祈った。
 森閑とした熱田神宮の砂利道を踏みしめた。

 天気は秋晴れ。気温は28度と久しぶりの暑さであるが、空気はさわやかである。車に乗って今度は犬山へと向かうことにした。犬山は犬山城があるが、今日は犬山城のそばにある寂光院へと向かうことにした。
 継鹿尾山八葉蓮台寺寂光院(つがおざんはちようれんだいじじゃっこういん)は、愛知県犬山市にある真言宗智山派の寺院のことである。通称継鹿尾観音(つがおかんのん)。紅葉で有名なことから「もみじでら」ともよばれる。 本尊は千手観音、大随求尊である。
 信長も参拝したという寺である。
 三百段という石の階段の入り口にこんnaお地蔵様が迎えてくださった。




三百段の石段をふ〜ふ〜言って登るとご本尊がお祀りされていた。


頂上から眺める眼下に岐阜の町が見える。
時はちょうどお昼になったので犬山ホテルで昼食を取り今度はマダム貞奴の名前で知られるわが国最初の女優の祖といわれている川上貞奴が開いた貞照寺へと向かうことにした。


市川団十郎や俳優、女優などが祈願に来たことが分かる。
貞奴は明治4年生まれ。7歳のとき、芸者置屋の養女となる。明治27年、芸者を廃業し、川上音二郎と結婚。明治32年、世界巡業にでかけ、アメリカ、イギリス、を経て、パリ万博に出演し、勲章を授かる。明治34年、渡欧し、14カ国を巡演。明治41年に東京に「帝国女優養成所」を建設。大正6年明治座で引退公演。昭和8年貞照寺を開創。門前に別邸を建設。昭和21年76歳で没す。

貞奴の墓
 福沢諭吉なら誰でも知っているが、福沢桃介のことはほとんどの人が知らない。
 諭吉の次女・ふさの婿である。

 明治十九年、福沢諭吉五十三歳。慶応義塾の運動会で、ライオンを描いたシャツを着て走り、注目をあつめた眉目秀麗の学生がいた。川越の堤燈屋の二男坊岩崎桃介(十九歳)である。
 その雄姿に一目ぼれしたのか、輸吉夫人錦(四十二歳)が二女房のむこに欲しいと望み、長女里(中村貞吉夫人)も賛成、ついに諭吉も承諾した。
福沢桃介(ふくざわ ももすけ)
 相場師から電力王に
貧乏な家に生まれ、才知と眉目秀麗を認められて福沢諭吉の婿養子になった桃介。約束されたエリートコースを結核で棒に振るが、ハングリー精神を発揮、天下に知られた相場師となる。後年は実業家に転進、電力王と称された。「天は人の助けざる者を助く」が信条の偽悪家は、始末に負えぬ拝金教と評された。が、川上貞奴と浮名を流した一代の鬼才の屈折人生は、一片の痛快さもある。
というわけで、今日は熱田神宮寂光院、貞照寺と巡った。