飛翔

日々の随想です

『以下無用のことながら』

以下、無用のことながら (文春文庫)

以下、無用のことながら (文春文庫)

司馬遼太郎の膨大なエッセイから厳選した七十一篇。その中でも「学生時代の私の読書」は司馬遼太郎の原点でもあり、氏自ら読者諸兄に
「何を読むべきか、どう読むべきか」の提言がなされていておおいに参考になった。先ずは司馬さんの読書歴はと言うと:、
 中学の頃は徳富蘆花全集、漱石、鴎外、正岡子規などを読み、小説、随筆を読む楽しみ以上に、「明治人の心」というものを身近なものとしたようだ。
 ここで司馬さんは「是非,諸兄に伝えたい」と特筆,提言する。
 それは「明治文学をぜひお読みなさい。江戸中期から明治時代というのは世界史の中でも、めずらしい精神がぎっしり詰まった時代です。江戸期といういわば教養時代が、酒で言えば蒸留されて、度数の高い蒸留酒になったのが、明治の心というべきものです。諸君は異国の文学でも読むような気持ちで読んでゆくとよい。きっと発見があります。それを生涯の伴侶になさるとよいと思います」
とある。
また兵役時代は、死を覚悟し『歎異抄』を音読。ここでまた氏は提言する。
「日本の古典や中国の古典は音読すべし。音読すると、行間のひびきが伝わってきます。自分の日本語の文章力を鍛える上でも実に良い方法です」
とこれまた懇切丁寧。
軍に入っては『万葉集』を繰り返し読み、「いはばしるたるみのうへのさわらびのもえいづるはるになりにけるかも」は、「死に直面した時期に、心をつねに拭き取る役目をしてくれた」と述懐するに及んで、文学、読書が精神の浄化の役目を為し、支えでもあり、まさに生涯の伴侶というべきものであったと言えよう。
末尾の解説に「文を書く上で気を使っていることは何か」という質問に
「一台の荷車には一個だけ荷物を」という答えがあった。センテンスを荷車に例え、関係代名詞を持たない日本語の不自由さも、この訓練によって道をひらくべしと示唆している。
人間にたいしてあふれる愛情とユーモア、卓見に満ちた司馬さんの世界も、こうしたたゆまぬ素地があったればこそと感嘆と畏怖の念を抱く読後感であった。