飛翔

日々の随想です

長崎に原爆が投下された日に黙祷を

 今日は長崎に原爆が落とされた日。広島だけでなく長崎まで。今のんびりとこうしてパソコンのキーボードを打っているが、65年前の今日、長崎は原爆の閃光を浴びたのである。平和になった今、日本人は子供が親を殺し、自分が産んだ子供を「自分の時間が欲しくなった」と言って狭いマンションに置き去りにし餓死させた親もいる。
 65年前の今日。生きる喜びも絶たれて一瞬の閃光に焼かれた肌は垂れ下がり、むき出しになった骨や内臓を引きずりながら人々は長崎の町を歩いたのである。どんなにか熱かったことだろう、痛かったことだろう、苦しかったことだろう・・・。
 戦争の無惨さをこれだけ訴えてもまだこの世から戦争がなくならないのはなぜだろう?
 それは他人事だからだろうか?身近に迫らない対岸のことなのだろうか?テレビのライブ放送でイラク戦争を宇宙中継する異常な時代。だからこそ戦争の恐ろしさを訴え、核兵器の廃絶を被爆国の日本が発信し続けなければならない。生きたかったのに殺されてしまった人たちの声を我々は世界に伝え続けなければ、死者の魂は浮かばれない。
 原爆投下の午前11時2分。黙祷を捧げましょう。