飛翔

日々の随想です

原爆投下の日に

原爆投下後、65年が過ぎようとしている今日。広島市中区平和記念公園でひらかれた平和記念式典には被爆者や管総理ら5万5000人が参列。国連事務総長、駐日アメリカ大使がはじめて式典に参加した。秋葉広島市長は広島弁を使って非核三原則の法制化と核の傘からの離脱をもとめた。
 非核を謳ってノーベル平和賞を受賞した原爆投下国の大統領が参加しなかったのはなぜか?原爆を落とした本人(国)がノーベル平和賞を受賞するという怪も解せないものだ。
 日本は戦後65年が過ぎ、被爆者たちの生存数が少なくなってきている。語り継ぐべきは我々である。唯一の原爆被爆国の日本がその惨状と恒久平和への希求をあげないで誰がするというのであろうか。
 広島で被爆した栗原貞子さんの「生ましめんかな」の詩を今こそ詠もうではないか。
生ましめんかな
        原子爆弾秘話

こわれたビルデングの地下室の夜であった。
原子爆弾の負傷者達は
ローソク一本ない暗い地下室を
うずめていっぱいだった。
生臭い血の匂い、死臭、汗くさ人いきれ、うめき声。
その中から不思議な声が聞こえて来た。
「赤ん坊が生まれる」と云うのだ。
この地獄の底のような地下室で今、若い女
産気づいているのだ。
マッチ一本ないくらがりでどうしたらいいのだろう。
人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
と、「私が産婆です。私が生ませましょう」と云ったのは
さっきまでうめいていた重傷者だ。
かくてくらがりの地獄の底で新しい生命は生まれた。
かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ。

生ましめんかな
生ましめんかな
己が命捨つとも
栗原貞子作)

大量破壊兵器がもたらす残虐。
己の命を捨てるとも新しい命に希望を託す重傷者の誇りと人間として気高さと強さ。
私達はこの詩を決して忘却の彼方に追いやってはならない。