飛翔

日々の随想です

カレーの浜辺の夕暮れ

ワーズワースの詩「カレーの浜辺の夕暮れ」を読んでいるうちに、カレーの浜辺の思い出が蘇ってきた。
ドーバーの白い崖。そこからはるか彼方を眺めるとそこはフランス。カレーの浜辺に行き着く。
英国を去る日も真近な頃、私も含めて3人の友がやがて来る別離の日の記念にと船で対岸のフランス、カレーへと向かった。ドーバー海峡トンネルができてフランスまでは簡単にいけるようになったけれど、晴れた日はやはり海を見ながら白波をけたててジェット船で行くのが気持ちが良い。
ものの30分ほどでカレーの浜へ着く。
カレーには古い城跡があるだけで、何も見るものはなかった。ぎらぎら照る太陽を受けながら城跡まで長い坂を上っていく。期待していたほどのものは何もなく、3人でとりとめもなくしゃべりながら船着場へと戻ろうとすると、一軒の人形屋があった。あやつり人形や、フランス人形、指人形などいろいろな人形があった。
みんな手作りで結構な値段だった。そんな中、小さな人形が3体ブランコに乗っているのが目に入った。「わー。可愛い!」とMが歓声をあげた。奇妙なことにMにそっくりな顔をしている。隣にいる人形は神妙な顔をしている。服も人形にしては地味だった。その隣の人形はお人よしの顔つきをしている。作り物らしくない、どこか本当の人間のようなこの人形に3人は惹かれた。
3人はお金を出し合ってその3体の人形を買い、また長い坂の続くカレーの道を船着場へと歩いていった。
ドーバー行きの船が出港するまで3人はカフェで喉を潤すことにした。思い出を語り合うこともなく、しんみりとシャンパンを飲んだ。3人の気持ちとは裏腹にグラスにはシャンパンの泡が威勢よく次から次へと生まれていった。何か話し出すと涙が一気にでてきそうで何もいえなかった。
ドーバーに着くと袋から人形を取り出して3人でわけた。
それぞれの人形を分身だと思って大事にすることにし、いつか再会するときは互いの人形も再会させてやろうと誓い合って別れることにした。
万感こめた“God be with you”の言葉は寄せる波間に悲しく消えていった。
ワーズワースはメアリという女性と結婚する前に、昔の恋人、アネットとその間に生まれた娘カロリーヌに別れを告げるためにフランスのカレー海岸に渡った。そのとき書かれた14行詩が「カレーの浜辺の夕暮れ」。

Evening on Calais Beach

It is a beauteous evening, calm and free;
The holy times is quiet as aNun
Breathless with adoration; the broad sun
Is sinking down in its transquillity;

The gentleness of heaven is on the Sea:
Listen! The mighty Being is awake,
And doth with his eternal motion make
A sound like thunder everlastingly,
Dear child! Dear girl! That walkest with me here,
If thou appear untouch’d by solemn thought
Thy nature is not therefore less divine:

Thou liest in Abraham’s bosom all the year,
And worshipp’s at the Temmple’s inner shrine,
God being with thee when we know it not.

※最後のGod being with theeは娘へのお別れの言葉”good-bye”(=God be with you)
と重なって私には聞こえる。
私たち3人がカレーの浜辺から戻ってドーバーの岸で交わした別れの言葉、
“God be with you”。
波間に消えた別れの言葉が今ひとたび蘇ってくるのだった。