飛翔

日々の随想です

アガサ・クリスティーの別の顔

 今日1月12日はアガサ・クリスティーの誕生日。そして今年は生誕120年の年でもある。
 そこでアガサ・クリスティーの知られざる顔、作品を紹介したいと思う。

Absent in the Spring and Other Novels: A Mary Westmacott Omnibus

Absent in the Spring and Other Novels: A Mary Westmacott Omnibus

第二次世界大戦がはじまる少し前の話である。
主人公ジョーン・スカダモアは中年の美しい主婦。夫は弁護士。子ども三人を立派に育て上げ、自分たち夫婦ほど幸福な者はいないと思っていた。それはひとえに自分が夫や子どものためにがんばってきたおかげだと自負するのであった。
末娘の嫁ぎ先のバグダッドへ娘の病気見舞いに行き、ロンドンへと帰路につく途中
テル・アブ・ハミドの砂漠地帯で長雨のため足止めを食う。
足止めを食っている宿泊所で退屈な日々を過ごすうち、来し方のあれやこれやを思い起こす。自分がどれだけ理想の家庭を築いてきたか、夫のためにつくしてきたことや、子どもたちの為に良かれとしてきたことを邂逅するうち、徐々にそれらが本物だったのだろうかと疑念を抱く。
夫の愛情、子どもが自分に抱く感情にはじめて気が附くのだった。

自分の顔は自分で見ることが出来ない。
どんな概容をしているのかを知るためには鏡でみると分かる。では鏡を見ることが出来なかったらどうだろうか?家族や、友人、周囲の反応が如実に物語ってくれる。
しかし、彼らが発する言葉や態度を正しく読み取れず、自分の都合の良いように解釈したとしたら、「自分」を正しくみることはできない。
人は己を直視することは少ない。自分の醜さの部分ならば、さらに直視しようとはしないものだ。
自分を正しいと思いこみ、他者の人生までも自分の思い通りにしようとすることはある。しかも、それが愛するが故の強制であったなら思い通りにされた者の人生はどうなるのだろうか?しかも「愛」と思い込んでいたのは、実は自己満足以外の何ものでもなかったとしたら。
愛するがゆえに赦されないものは何だろう?
幸福とは何だろうか?自己満足と云う愚かしさ、独占欲がもたらす罪。
それらが織りなす物語。
虚構の世界ではあるけれど、現実にどこにでもあるあの人やこの人の人生がここにはある。いや、これは私のことかもしれないと思ったとたんぞっと過去を振り返るのだった。
そして何よりも一番怖かったのは最後に夫のロドニーがつぶやいた言葉である。
人間に巣食う自己満足や、独占欲、幸福のあやうさを淡々としかし深遠にえぐってみせたメアリ・ウエストマコットの最高傑作である!

 皆さん!メアリ・ウエストマコット!!!ですよ!!!
 実は何を隠そうメアリ・ウエストマコット!!!というのはアガサ・クリスティーの別名だったのです!!!!
アガサ・クリスティーが殺人も、探偵も出てこない小説を6篇だけ書いた。そのうちの一つがこの本。
アガサ・クリスティーは長い間アガサの名を隠してメアリ・ウエストマコットの名のままこの作品を出していた。
殺人も、探偵も出てこない小説6篇はともにメアリ・ウエストマコットの名で出版。
和名は『春にして君を離れ』なのである!!!
アガサ・クリスティーはこの本の構想を長年練ってきたそうだけれど、書き始めたら1週間で書き上げたのだった。そして完成したときは性も根も尽き果ててすぐベッドにもぐりこんで、一語も訂正せず、そのまま出版したという。

和書は次のようなものがある。洋書、和書ともお読みになれば完璧です。

春にして君を離れ (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

春にして君を離れ (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)