有名な薄田泣菫の『茶話』(冨山房百科文庫)の紹介である。
国内外の取って置きの話、歌舞伎役者のあれこれ、時事問題などを軽妙な切り口で書いたコラムのお手本のような文ばかり。さすがに薄田泣菫さんと平伏してしまった。こんな茶話なら何時間でも聞いていたいものだ。いや、読んでいたいものである。
「演説の用意」と題するコラムを引いてみよう
長い文章なら、どんな下手でも書くことが出来る。文章を短く切り詰める事が出来るようになったら、その人はいっぱしの書き手である。
なんとも簡潔で軽妙で含蓄深い文ではないか!!
ところでこの本、編集に谷沢永一氏が携わっている。下巻の解説には向井敏が執筆と絢爛である。
谷沢永一が言うところのすぐれたコラムの一般論をここに引いてみよう。
ピリッと爽快な山椒の辛味、寸鉄の一言に託した批評精神の清潔な香気と、それぞれ独特な一ひねり二ひねりを、底に沈めた話術の芸。一瞬に読ませる短いスペースのなかへ、肝ごたえがあって長持ちのする内容をこめ、更にそのうえ、つい手をのばしてつぎつぎとつまみ食いしたくなるように、気安く小意気な雰囲気を盛り付ける工夫。モノ知りだけでコラムは書けない。コラムニストの必須条件は、このむつかしい人の世を、裏から横から斜めから、観察し続けてきたワケ知りのたくましい複眼である.
まさにすぐれたコラムについての至言である。