飛翔

日々の随想です

嬉遊曲、鳴りやまず

嬉遊曲、鳴りやまず―斎藤秀雄の生涯 (新潮文庫)

嬉遊曲、鳴りやまず―斎藤秀雄の生涯 (新潮文庫)

小澤征爾指揮ウィーンニューイヤーコンサートが衛星放送で世界中に映し出されたとき、ついに日本人指揮者もここまできたかと感慨深かったものである。
その小澤は『斎藤先生がいなかったら、僕も秋山和慶も、岩城宏之若杉弘も出なかっただろうと思います』と言った。

本書は日本草分けのチェロ奏者であり、指揮者であり、世界的音楽家を多数育てた斉藤秀雄の評伝である。

世界各地で活躍している弟子たちが集まって、一人の教師を記念して「サイトウ・キネン・オーケストラ」を編成、フェスティバルが催されるということは世界でも稀有な事象である。

そんな斉藤秀雄とはどんな人物なのであろうか。
著者は、両親、祖父母の出自から探り、血脈の影響をたどったのである。
秀雄の父は英和辞典を書き、イディオム研究と文法では第一人者である英文学者 斉藤秀三郎である。

秀雄は「辞書を作り、英文法の本を作る上で、理解力、分析力がいる。自分はそうした頭脳を父からさずかった」と語っている。
秀三郎は「巨人」「ライオン」とも言われ分秒を惜しんで仕事をし、便所の中にすら見台が備え付けられ、百科事典が置かれていた。自分には七人の子どもがいるからその結婚式のために一生の間に七日間だけ勉強時間を犠牲にしなければならないと言ったというからすさまじい。

そのすさまじい勉学ぶり、仕事ぶり、生活ぶりは「斉藤秀三郎伝」を読むような趣があって本書のおもわぬ余禄と言ってよいだろう。
そうした業績による資産は国内にピアノがほとんどない時代に子どもたちに舶来品のピアノや蓄音機を買い与えることができたのである。

やがて秀雄はドイツに留学。チェロの最高権威に師事。
帰国後はチェロ奏者から指揮者に、やがて「子供のための音楽教室」を作り、世界的音楽家を輩出する桐朋学園の生みの親となる。その間、ドイツ人女性との結婚と離婚、様々な女性との艶聞などを織り交ぜて評伝はふくらみのあるものとなり感興が高まっていく。

本書は秀雄の生涯をたどっていく過程で、秀雄のアクの強さ、しつこさなど、好かれるばかりでなく厭われる部分まで客観的に書かれていて、評伝にありがちな偏りがなく、読者はありのままの秀雄像を心に描くことができ秀逸である。
一方、多くの人たちの心にその存在を忘れがたいものとしているのは、秀雄の音楽への渾身である。
捨て身ともいえる情熱は絶対服従的なところもあり、実に厳しいものであった。
その教授法は「人間には肉体的頭脳的に別個の「素質」があり、それを伸ばす「努力」と勉強するときの「注意力」、この三つを掛け算したところで成果が出てくるというものである。

秀雄は外国語を習得させる方法で西洋音楽を教えたのである。それは父秀三郎の英語イディオモロジーと酷似していた。まさに血脈であろうか。

さて、本書の中で特記すべきは仮説の提示である。
それは宮沢賢治の『セロ弾きのゴーシュ』の楽長のモデルが斉藤秀雄ではないかとの仮説である。著者は様々な資料と賢治の年譜、関係者の話から楽長は秀雄であると確信に近いものを得る。

死の淵にあった秀雄はコンサートで「ごめんね、僕は体がもういうことをきかない。手がこれくらいしか動かないんだ」と言って腕を振り下ろすとオーケストラはこれまでにないほどの音を響かせた。

「アンサンブルは時間の一致じゃない、心の一致だ」

まさに秀雄の生涯の集大成がそこに結実した瞬間であった。

西洋音楽の土壌がない極東の日本から世界に活躍する音楽家を輩出させた斉藤の生涯をみごとにえがき抜いた労作である。