飛翔

日々の随想です

野呂邦暢の名随筆を読んで

先日京都左京区にある古書店「善行堂」さんで買った野呂邦暢の随筆『小さな町にて』(文藝春秋)を終日読みふけった。

 大げさに言えば運命に導かれるように古書店の棚に手を伸ばしたところに野呂邦暢の作品が並んでおり、その中の一冊を抜き出した。それが『小さな町にて』(文藝春秋)だった。
 日記風に叙した随筆。はじめのほうの短いエッセイはそのまま短編小説の題材になりそうであるが、全編を流れるのは野呂が歩いて生きた青春の軌跡をなぞるものとなっている。
 しかもそのほとんどが古書店とそこでもとめた本の数々、読んだ本にまつわる思い出と友との語らいである。
 野呂が青春を送ってきた諫早と大学受験に失敗し短い浪人生活をした京都、友人をたよって上京した東京は早稲田界隈、古書を求めて歩いた神田神保町界隈、喫茶店とそこに流れる音楽、数多く見てきた映画とその感想。

 そこにはかつても今も、多くの若者がそうであるように本を中心に談論風発した青春の軌跡がある。
 なんと多くの書物を読み、音楽を聴き、映画を見、友との語らいに夜を徹してきたか。野呂邦暢の思索の軌跡をなぞるようで得がたい随筆であった。
 おびただしい読書の量と逐一その感想を記したこの随筆は味気ない書評とは異なり、一冊の本を得た時の友との語らいや、喫茶店でその本を開いたときの風景、そのとき流れていた音楽、喫茶店でいつも会う外国人や、いさかいをしている男女の機微など、そのすべてが一冊の本との出合いとつながって絶妙に書かれていて、「随筆を書かせたらぴか一」といわれた向田邦子にも勝るとも劣らない筆さばきに感服する。

 中でも印象的なエッセイが二つある。
 それは先日8月29日にこのブログで掲載した「山王書房店主」「昔日の客」と何回もこのブログで書いた「ヘンリー・ライクロフトの私記」であった。
 偶然にもこの二つはこのブログで再三再四取り上げて再掲載してばかりで読者がうんざりした記事でもあった。

先ず「山王書房店主」「昔日の客」は
「山王書房店主」「昔日の客」参照。
で書いた記事は沢木 耕太郎が書いた「山王書房店主」の思い出であったが、野呂邦暢の随筆『小さな町にて』ではタイルがそっくり「山王書房店主」となっている。
 大森にある山王書房は野呂が住んでいたところの近くにあった由。野呂がまだ19歳のときにであった山王書房店主の思い出である。山王書房店主は三十代のはじめであった。いつも二十円か三十円の文庫本を買っていた野呂は田舎へ帰る前立ち寄ったときのこと。

私は二冊の文庫本と「マルテの手記」(人文書院刊)を添えて店主にさしだし、いくらかまけてもらえまいかとたのんだ。給料日をひかえて懐がさびしかったのだ。店主はいつも気前よく引いてくれたから、その日も応じると思っていた。ところが虫の居所が悪かったのか相手は烈火の如く怒った。道楽で古本屋をやっているわけじゃないのだから、いちいち勉強していたら店が成り立たないという。私が山王書房で本を買っていたのは古本の値段を二割は安くしてくれるからであった。けんまくに怖れをなして私は店を飛び出した。半年あまりたって九州に帰ろうとして(省略)筑摩書房刊の「ブールデル彫刻写真集」を昭和三十二年当時、千五百円の値がついていたものを、(省略)田舎へ帰るのだと告げると、店主はだまって五百円引いてくれた。自分の餞別だといった。
 昭和五十三年の秋に刊行された関口良雄遺稿集「昔日の客」は、かつて新潮社の編集長であった山高登氏の木版画で装丁された瀟洒な本である。山王書房店主の関口良雄氏は俳句をよくし文章にも秀でていた。尾崎一雄上林暁の著作目録を作製している。道楽で商売をやりはしないとはいいはしたものの、故人を追悼した作家たちの文集「関口良雄を偲ぶ」を読むと、それが正反対であったことがわかる。店主は俳句と私小説と歌と古本を愛した。夕焼けと銭湯を愛した。これはと思う客には古本をただでくれることも珍しくなかった。

沢木耕太郎が書いた「昔日の客」とは異なってはいるが別の味わいのある「山王書房店主」がしみじみとかかれてあって、山王書房の店主が多くの文人や客たちにどれだけ親しまれたかが偲ばれるのであった。

(次へ続く)