飛翔

日々の随想です

(野呂邦暢の名随筆を読んで)(その1)からの続き:

そして二つ目はジョージ・ギシングの「ヘンリ・ライクロフトの私記」についての思い出である。

ヘンリ・ライクロフトの私記 (岩波文庫)

ヘンリ・ライクロフトの私記 (岩波文庫)

 私事であるがこれも偶然このブログで私も思い出を書いてきた。
「先生のカバン」とジョージ・ギシング参照。

 野呂邦暢が書くジョージ・ギシングについての思い出はタイトルが「プライベート・ペイパー」

私が初めて読んだ英語の本はギシングの「蜘蛛の巣の家」である。高2の夏休みだった。
 「ヘンリ・ライクロフトの私記」は同級生のMから原書を借りた。
 本当の意味で初めて読んだ原書といえばこの本ということになる。インクのにおい、紙の手触り、装丁などが日本の書物とはまるでちゃっていた。辞書と首っ引きでどうやら読むことができた。(省略)
いまS・モームの名前を知っている学生でも、ギッシングは知らない。英文科の学生なら別だろうが。高2の私にはヘンリー・ライクロフトのような生活は一つの理想だった。後日、ツルゲーネフの「猟人日記」を読んだけれど、そこに描かれたロシアの森に移り変わる四季よりも私は前者のそれに惹かれた。

とある。

 このように野呂邦暢の随筆『小さ町にて』は日記風に叙した書物随筆の趣があって、野呂の来し方の青春の軌跡をなぞるものとなっている。
 しかもそのほとんどが古書店とそこでもとめた本の数々、読んだ本にまつわる思い出と友との語らいである。

 なんと多くの書物を読み、音楽を聴き、映画を見、友との語らいに夜を徹してきたか。野呂邦暢の思索の軌跡をなぞるようで得がたい随筆であった。
  京都の古書店で運命的にふと第一番に触れた古書が野呂邦暢の名随筆であった。古書 善行堂の開店祝いに駆けつけた何よりのうれしい釣果であり、私の「お宝本」となったのである。