飛翔

日々の随想です

蜻蛉日記

かくありし時過ぎて、世の中に、いともはかなく、とにもかくにもつかで、世に経る人ありけり。」
(こうして女盛りの時もむなしく過ぎ去ってしまって・・・

という序文からはじまる「蜻蛉日記」。
平安時代中期、十世紀末ごろ書かれた日記文学である。
作者は本朝三美人の一人ともいわれ、歌人としても評判が高かった才媛「藤原道綱の母」である。
作者は19歳で藤原兼家の妻となった。
夫、兼家は右大臣藤原師輔の三男。情が深くて、出世街道驀進の御曹司、冗談好きの色男。和歌もそこそこに詠み、教養もある超もてもて男。
一方、作者はたいそう美人で、和歌に秀でている才女。プライドが高く、お嬢様育ちの女。

この二人が結ばれて、人も羨むカップルの誕生のはずが、モテモテ夫は一夫多妻の時代とあって、あっちにふらふら、こっちにふらふら。
お嬢様育ちの女はプライドが高くて甘えべた、美人なのでこびたりへつらったりするなんてできない。

さあさあ、どうする、どうする?
すねたり、喜んだり、いじけたり、悲しんだり。
もてもて夫をひたすらむなしく待ち続けた21年間の女の苦悶。それが「蜻蛉日記」と、ひとくくりにしては実も蓋もない。

そこは天下の和歌の名人にして才媛。むなしい結婚生活を上巻(15年)、中・下巻(各3年)、計21年分を回想して書かれた日記文学となっている。

本書が一千年も前のものとはとても思えないほど身につまされ、身近に感じるから不思議。
なぜだろう?文明が発達しても男と女の生態や思考は変わらないからだろうか。
夫の浮気相手に嫉妬したり、待ち焦がれていた夫に素直に甘えられないで、つい、いやみを言ってしまったり・・・
女心の愛らしさ、いじらしさ、醜さ、矜持、など作者の心の揺らめきが深い陰影を帯びてその華麗な和歌と共に読者の胸に食い込んで共感と哀感とを呼ぶのである。

歌人としても名だたる作者の和歌はひときわの光彩を放っており、この和歌をとりまく詞書としての日記は文学の香り高い。
内面を物語る日記文学紀貫之の「土佐日記」から受け継ぐものであり、本書はこの先、誕生する「源氏物語」の先駆的役割も帯びている。

さて、この一千年前の日記文学がすいすい読めてしまったのはなぜだろうか?
その秘密は本書の構成の妙に負うところ、大なのである。
すなわち、本書は現代語訳と原文を併記し、その後解説がついており、実に分かりやすく、読みやすく、古典に親しみやすくなっている。
「ビギナーズ・クラッシック」と銘打っている道理である。

歴史をひもときつつ、時を超えて真摯に人生をみつめてきた一人の女性の息遣いが確かに現代に届いた作品だった。