飛翔

日々の随想です

『遠い朝の本たち』

遠い朝の本たち (ちくま文庫)

遠い朝の本たち (ちくま文庫)

「何冊かの本が、ひとりの女の子の、すこし大げさに言えば人生の選択を左右することがある。その子は、しかし、そんなことには気づかないで、ただ、吸い込まれるように本を読んでいる。(省略)その子のなかには、本の世界が夏空の雲のように幾層にも重なって湧きあがり、その子自身がほとんど本になってしまう」

と言う書き出しではじまる「まがり角の本」の章。
幼い須賀さん自身がほとんど本になってしまうほど吸い込まれた本「ケティー物語」。北米の庭の広い家に暮らすケティーとその弟妹たちの物語。ケティーが須賀さんと同じ長女で総領だったことに親近感を覚えたという他に、庭についての想い出が重なって惹き付けてやまなかったこの本を12歳の須賀さんは愛読して終わりだったわけではない。

繰り返し読んだこの本の中に理解できない言葉「サテンの帯」(アメリカ人のいう「帯」ってなんだろう?)「車つきベッド」(一体何だろう?)、それらが須賀さんを「大きくなったら外国に行きたい」と思わしめ、「外国へ行ったらきっといろいろなことがわかるだろう」と誘(いざな)った。

つまり、冒頭の「何冊かの本が、ひとりの女の子の、すこし大げさに言えば人世の選択を左右することがある。」に至るのだった。

須賀さんが60歳に手が届くとき、長い間、実体のわからない言葉だったこの「車つきベッド」の存在をアメリカ旅行中に偶然にみつけ、ようやくその意味を知ることとなった。

50年間、この謎の言葉が「いくら窓を開けても出ていかない、しつこい煙みたいにくすぼり続けていたのを知って、私は大声をあげそうになった」と言わしめる。

1冊の本が人生の選択を左右し、深く内在しつづけ息づいていることは須賀さんにとって読書がもはや肉体の一部になっていることの証左なのであろう。

また「葦の中の声」の章では、アン・リンドバーグが指し示す「まやかしのない言葉たち、ものごとの本質をきっちりと捉えて、それ以上でもそれ以下にも書かないという信念と、重かったり大きすぎたりする言葉を使わない」というアンの思考自体が須賀さんにとって均質なものだと吐露するに及んで、この思考はまぎれもなく須賀さん自身のものでもあることを読者は作品に伺い知ることが出来る。

人生が多くの翳りと、それと同じくらい豊かな光に満ちていることを知らなかった「遠い朝」、須賀さんが読んだ様々な本たちは、友達、弟妹、父母、叔父たちとの愛おしい思い出と紡ぎあって須賀さんという人物の陰影を深く濃いものにして私達の前にみせてくれた一冊。須賀さんが病床から推敲を加えた最晩年の作。

須賀さんの物事の本質をきっちりと捉え、それ以上でもそれ以下にも書かないない。重かったり大きすぎたりする言葉を使わない。といった自らを厳しく律した魂の静寂を思わせる文章の礎となった「遠い朝の本たち」。
本書は読者の心にいつまでも忘れ得ぬ「須賀敦子」を刻んでいくことだろう。