トランプのことを批判してばかりいたら、スランプになった。
そのうちジョーカー引きそうだ。
さぶちゃん。懐かしい昔の名前だけれど、ブログを久しぶりにおたずねしたらプライベート設定になっていた。
さみしいな。
昔の書評のお友達はどうしているのだろうか?
男女の仲も、同性同士の友人でも、相性というものがある。
昔、好きだと思って付き合ってみたら、私の嫌いなタイプの人だと分かった。
わかったけれど、相手の熱はあがるばかり。
結婚して別れる人って、こういうものかもしれないとふとその時思った。
ある日、突然、その声の出し方や、金銭の取り扱い方が気にいらなくなる。
親友だと思っていた人と山陰に旅をした。
旅をしている間中、一挙手一投足が気にいらなくなった。
殺意さえ感じてしまった。
こんなことがあるかと、自分の性格の悪さを嘆いたが、感じ方というのはいかんともしがたい。
ブログは言葉だけだ。
文は人なりという。
容姿がわからない分、思考の傾向や、感性がにじみ出てくる。
その文からかもしだされる人柄や、性質、趣味、に惹かれたり、嫌悪したりする。
好もしいと交流が続いた人でも、次第に重くなってくることがある。
間遠くなる。
夫婦でもずっと同じように好もしいと思うカップルは少ないのではなかろうか。
山あり谷ありを越えて、時が二人を育んでいくのだろう。
今、なぜこんな文を書いたかというと、親しくしていた友人との付き合いが芳しくないからだ。
恋人との別れの予感があるように、友人との付き合いも遠いものに感じ始めた。
このなじみのある、しかし、しばらく放置しておいたHatenaブログに来て、急に昔の仲間に会いたくなってきた。
変わりなく本を読んでいるのだろうか?
達意な書評を書いているのだろうか?
そう思って、かの人のブログを訪れてみたわけだった。
自分がしばらく放置しておいたくせに、友のブログがプライベート設定がさみしくてならない。
お〜〜〜〜い、さぶちゃ〜ん。