年賀状のための喪中欠礼のはがきが来るようになった。
「あの人どうしているかしらね」
と夫と話していた人が1月に亡くなっていたことが分かりショックを受けた。
母がかつて、祝い事を先延ばししてはダメよという言葉が頭をよぎる。
母の古希の祝いを東京都内の某ホテルの一室を借り切って祝ったことがあった。
母は辞退したけれど、親戚一同、知り合いも含めて和やかなお祝いの会となった。
父も健在、親戚もみんな元気だった。
しかし、その後、ばたばたと多くの人が亡くなった。
祝いの会が最後の元気な一同の会になった。
実家に里帰りするたび、母はこれが最後と思うような悲しい目で
私を見送ったことがいまだにまぶたに焼きついて離れない。
母が四十歳の時生まれたのが私だった。だから姉たちとちがって、母との時間は短い。
母も私もそれはしみじみ感じていることだった。だから過保護とおもうほど溺愛された。
愛されていることの幸福感は私の生涯の宝物だ。
愛は人を甘やかすが、満ち足りた幸福感は人の心を芯から温かなものにしてくれる。
愛を受けた者は他にも与えるようになる。
心の真ん中をほのぼのとしたぬくもりで満たしてくれるもの。
それが母の愛だ。
夫婦でも、親子でも、友人関係でも、やさしい気持ちで接したいとしみじみ思う。
年も暮れようとしている。来週からはもう12月だ。
寒い日々、心の中だけでもやさしい温もりで満たしていきたいものです。