飛翔

日々の随想です

棟梁


 西岡常一(にしおか・つねかず)棟梁。法隆寺の棟梁で、最後の宮大工棟梁と呼ばれる名棟梁。

職人といわれる人はどれぐらいいるのだろうか?
 子供の頃住んでいた渋谷の家は,名人棟梁と言われた人が建てた。
 棟梁は住み込みをいれて数十人の職人をかかえる大きな大工だった。親方は眼光するどい人で、吼えていた犬まで親方のひとにらみで吼えるのをやめたと言うほどの人だった。

 職人は皆そろいの印半纏(しるしばんてん)を着てきびきびとして、それはそれはいなせな男ぶりだった。

 かんなで柱を削るときは芸術品をみるようだった。
 シューっと一気に端から端まで削ると一枚の薄紙のような木の一片が残った。
 削るたびに神々(こうごう)しいような木の香りがただようのだった。

 親方が現場にやってくると空気がぴんと張り詰めて若い衆などはふるえあがっていた。
 少しの手抜きもミスも許さない人だった。
 左官屋などは完成した壁をもう一度一から塗りなおせと怒鳴られて泣いていた。

 その親方のもとで出来上がった家は百年以上経ってもどこも狂いがないと自負するだけのものだった。
 アフターケアーとでも言うのだろうか、突然、前触れもなく親方はやってきて、建て付けをチェックしに来る。自分の仕事にとことん責任を持つのである。
 大風のとき、雨台風のとき、必ず家の様子をみにきてくれたのも親方だった。それは親方が亡くなるまで続いた。
 親方の葬儀のときは大工職人、下請け、左官から畳屋まで全員が棟梁の屋号が入ったそろいの印半纏を着て町内一周するほどの列が出来、江戸前の大工の棟梁の死を悼んだのだった。

 関東地方、大雨だと聞く。渋谷の実家の様子が気になるが、あの名棟梁の建てた家だから、大丈夫だろう。
 懐かしい家と、今は亡き棟梁の姿が目に浮かぶ。