飛翔

日々の随想です

蛍雪(けいせつ)の功



 日本列島、雪、雪、雪。温暖な知多半島も雪で覆い尽くされた。
 夕暮れどき、灯りをつけようと立ち上がり、ふとカーテンを開けると、部屋に一条の光が差し込んできた。
 それは庭に積もった雪あかりだった。
 窓から差し込む雪あかりで本を読もうとして、懐かしいあの歌がよみがえってきた。

    ♪ 螢の光、窓の雪、
     書(ふみ)読む月日、重ねつつ、
     何時(いつ)しか年も、すぎの戸を、
     開けてぞ今朝(けさ)は、別れ行く。

  卒業式になると歌われるこの曲はスコットランド民謡の「Auld Lang Syne」が元になっていて、歌詞は「蛍雪の功」という有名な中国の逸話が元になっている。
 「蛍雪(けいせつ)の功」は電気がない時代に「夏は蛍の光を明かりにして勉学に励み、冬は窓の(月で照らされた)雪を明かりにして勉学に励んだ」という内容である。

 文明の利器が発達して、もはや蛍の光や、雪あかり、月の光で本を読むことはない。
 不夜城のように煌々と一晩中ついた街のあかりで星の光も消されがちだ。
 「便利」は人間に、自然のあかりや光の美しさに目を向ける機会をなくさせたのだろうか。
 そうならば、日本人の「雪月花」を愛でる雅(みやび)な心にめくらませをくらわせたことになる。
 もう卒業式に歌うあの歌詞の意味を知って歌う生徒はほとんどいないことになる。