飛翔

日々の随想です

萌え出づるも枯るるも同じ野辺の草

いつも京都へ出かけるときは必ず行く場所は『祇王寺』。

京都でも最も美しくわびしいまでに静寂な場所『祇王寺
何度きても美しく心が落ち着いて日本の美を感じる場所。


こけむした庭。


紅葉のこだちごしに見える庵の詫びた風情は絶景。

このこけに秋になると真っ赤な紅葉がおちてじゅうたんをしきつけたようになる。


「控えの間の吉野窓」

祇王もこの円窓から庭をながめたであろうと思うと趣がいっそうます。


祇王、清盛、祇女の像

平家物語は「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす。おごれるもの久しからず、唯、春の夜の夢のごとし」とあるが、その続きに祇王祇女のことが出てくる。

これは平清盛と二人の女性の哀れな物語。

平清盛白拍子祇王を寵愛する。
白拍子とは、今様(いまよう)という流行歌を歌ったり舞を舞ったりする女の芸能者のこと)
そこに別の白拍子仏御前(16歳)が現れ寵愛はそちらに変わってしまう。
昨日までの寵愛はどこへやら、館を追い出されてしまう祇王

せめてもの形見にと

・萌え出づるも枯るるも同じ野辺の草いずれか秋にあわではつべき

と障子に書き残して去っていく。
(芽生えたばかりの草も、枯れる草も、野辺の草は結局みな同じ。秋になると枯れ果ててしまうばかり。人もまた、愛されるかとおもえばいつかは飽きられてしまうのでしょう)
後に追い出した仏御前もあとをおってこの祇王寺にやってきて一緒に尼になる。

仏御前は、祇王の恩を受けておきながら追い出すことになってしまい、心苦しく、我が身もいつ同じ目にあうことやらと思うと、清盛公のご寵愛は嬉しくない。はかないこの世の楽しみにふけるよりは後生を願いたいと思い、清盛公の許しを得ず、忍んで出て来たのだった。かぶっていた衣を取ると、現れたのはなんと髪を下ろした尼の姿だった。

こうして一人の横暴な権力者に翻弄された女3人(祇王、祇女(妹)仏御前)。
時に祇王二十一歳、祇女十九歳、母は四十五歳。仏御前は17歳だった。

この嵯峨野のわびしい庵で読経三昧の生涯を送ったかと思うと感慨深い。