飛翔

日々の随想です

祇王にあいたくて

今日で十月も終わり。
 十月の終わりを飾る今日は快晴。
 昨日の雨も上がり、空気は澄んでお日様は燦々と部屋の中に差し込んで身も心も温めてくれている。庭のハナミズキには真っ赤な実がつき、小鳥がついばみにくる。葉は紅葉している。
 布団が干された庭はなにやら,のどかな秋がただよっている。背中に秋の陽をうけながら、雑草を抜いていると、背中に何かがさわる感じがする。立ち上がると背中の物が落ちた。ハナミズキの落ち葉だった。

 草木に万感を込めた祇王の歌を思い出した。
 
 ・萌え出づるも枯るるも同じ野辺の草いずれか秋にあわではつべき (祇王

 平家物語は「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす。おごれるもの久しからず、唯、春の夜の夢のごとし」とあるが、その続きに祇王祇女のことが出てくる。

 これは平清盛と二人の女性の哀れな物語。

 平清盛白拍子祇王を寵愛する。
白拍子とは、今様(いまよう)という流行歌を歌ったり舞を舞ったりする女の芸能者のこと)
そこに別の白拍子仏御前(16歳)が現れ寵愛はそちらに変わってしまう。
昨日までの寵愛はどこへやら、館を追い出されてしまう祇王

せめてもの形見にと歌を詠む。

・萌え出づるも枯るるも同じ野辺の草いずれか秋にあわではつべき

と障子に書き残して去っていく。
(芽生えたばかりの草も、枯れる草も、野辺の草は結局みな同じ。秋になると枯れ果ててしまうばかり。人もまた、愛されるかとおもえばいつかは飽きられてしまうのでしょう)
後に追い出した仏御前もあとをおってこの祇王寺にやってきて一緒に尼になる。

 仏御前は、祇王の恩を受けておきながら追い出すことになってしまい、心苦しく、我が身もいつ同じ目にあうことやらと思うと、清盛公のご寵愛は嬉しくない。はかないこの世の楽しみにふけるよりは後生を願いたいと思い、清盛公の許しを得ず、忍んで出て来たのだった。かぶっていた衣を取ると、現れたのはなんと髪を下ろした尼の姿だった。

 こうして一人の横暴な権力者に翻弄された女3人(祇王、祇女(妹)仏御前)。
 時に祇王二十一歳、祇女十九歳、母は四十五歳。仏御前は17歳だった。

 この横暴な権力者に翻弄された女3人(祇王、祇女(妹)仏御前)が駆け込んだのが京都、嵯峨野にある祇王寺である。

こけむした庭。


紅葉のこだちごしに見える庵の詫びた風情は絶景。

このこけに秋になると真っ赤な紅葉がおちてじゅうたんをしきつけたようになる。

 11月になり、紅葉が美しい時期の祇王寺に行ってみたい。