植物の紫は息をのむほど美しい。この紫が好きで紫の地の訪問着を新調したが、失敗した。紫はどの人にも似合う色ではない。
「紫」はもともとムラサキ(紫草)という植物の名前であり、この植物の根(紫根)を染料にしたことから、これにより染色された色も「紫」と呼ぶようになった。この名称自体は、ムラサキが群生する植物であるため、『群(むら)』+『咲き』と呼ばれるようになったとされる[。古来この色は気品の高く神秘的な色と見られた。また紫草の栽培が困難だったため珍重され、古代中国(漢代以降 - 時代が下ると黄色に変った)、律令時代の日本などでは、紫は高位を表す色とされた。
『枕草子』の冒頭、「少し明りてむらさきだちたる雲の細くたなびきたる」という箇所は『紫色の雲』という意味と、『群がって咲く(ムラサキの)花のような』という両方の意味があるともされる。
この紫にもさまざまな色調があり、名前がある。たとえば、江戸紫、古代紫、若紫、京紫、藤色、藤紫、など。
万葉集をひもとくと、「むらさき」という言葉が出てくる。天智天皇が蒲生野で薬猟をしたとき、天皇の情人である額田王が歌を詠み、天皇の弟で前夫の大海人皇子が応えた歌がある。
あかねさす紫野行き標野行き 野守は見ずや君が袖振る(額田王・万葉集20)
(あかねさす むらさきのゆき しめのゆき のもりはみずや きみがそでふる)
(額田王「茜さす紫野へ標野へ、あなたは私に袖を振って行くけど、野守に見咎められます」)
※あかねさす…「紫」の枕詞。紫草の根から茜色を帯びた紫色が採れる。「君」:前夫の大海人皇子。「野守」:暗に天智天皇をさすともいわれている。
むらさきのにほへる妹を憎くあらば 人妻ゆゑに我れ恋ひめやも(大海人皇子・万葉集21)
(大海人皇子「美しいあなた。厭わしかったら人妻なのに恋などしようか…恋せずにはいられないのだ」)
※むらさきの…「にほふ」の枕詞。紫草で染めた色は匂い立つように美しい。
なんともおおらかで情感豊かな恋歌のやり取りだ。枕詞を縦横無尽に用いてまさに言葉に色をもたせる。万葉の時代の言葉にはあでやかな色がにじんで美しい。