飛翔

日々の随想です

許す


「許す」という言葉はとても使うのが難しい。
誰が誰を許すのか?
許す方は何だか高みにたっているようで、許される方はこうべを垂れているようだ。
いつもここまできて思考が行き止まりになる。

親しい人と口をきかなくなって久しい。
心の奥までなじられた。 それから一年半後に深く深く悔いる言葉をもらった。
その間、私は自分の悪いところと対峙して苦しんで反省しどん底をはいずり回る気持ちでいた。
やっと自分の気持ちに決着をつけたとき、詫び状がきた。
詫び状を私は静かな気持ちで受け取ってすべてのことを水に流すことにした。

さざなみひとつない湖面になった私の心。
「許す」という言葉はあてはまらない。
詫びたり、詫びられたり、そんな関係は血が通っている。
「許す」と言う言葉は高低差があって対等でない。

「湖面」になってしまった心には表情がない。喜怒哀楽のどれもない顔。
水に流したというのは何もない元の状態になったということだ。
しかし、その元の状態には感情がもはやないのである。

さみしいことだ.